だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

映像は活字の敵か

わたしは、「映像は、活字の敵だ」と思っている。まあ以前に比べると今はそう思う度合いがかなり減少してきているのだが、でもやっぱりたぶんそう思っている。「敵」というのはちょっと大げさに表現したところもあるが、言い方を変えると、映像は活字を読むことを邪魔するものだと思うということである。映像って、じっと見ていないといけないので、時間がかかるのだ。しかも目を使うので、目が疲れる。これも活字を読むことへの邪魔になることである。

もちろん映像も楽しいものはあるし、知識は得られるし、考えさせられることがあるのだが、活字というか、本を読むことと比べると、時間がかかる割には知識や考えさせられる量(?)が少ないような気がするのだ。というか、こうやって書いていながら、でもどうして映像を敵だと思ってきているんだろうかと改めて考えてみた。もちろん、映像が嫌いだというわけなのではないと思う。ということはつまるところ、わたしは活字が好きだということなんだと思う。その、大好きな活字と付き合う時間を奪うものとして映像を捉えているということなんだなきっと。

じゃあわたしは映像を見ないのかというとそんなことはまったくない。テレビドラマも見ているし、ドキュメント番組は大好きである。そのうえ最近はパソコンやiPadYouTubeを見る時間が増えている気がする。これではますますわたしにとって映像が活字を追い払っているということではないか、ひょっとして。まずいではないか。でもでも、それは、YouTubeに見たくなるような映像が増えているということだと思う。このことは素晴らしいことなのではないだろうか。

映像も見て、本も読んで、という暮らしがしたいものだ。しかし目を酷使しすぎているかもしれない。そこんところは気をつけなくてはいけないな。

 

週の始まりは日曜日、それとも月曜日?

わたしは、わたしの生活のリズムからすると、1週間の始まりは月曜日だと思っている。なので、自分のグーグルカレンダーの表示は月曜始まりに設定している。だけれど、売られているカレンダーを見ると、日曜日始まりが多いようだ。他の方々はどうしているのだろうか。日曜日の朝に、「さあ、今週も頑張るぞ〜」とか言っているひとが多いのだろうか?

この「日曜日が週の始まり」というのは、キリスト教から来ていると聞いた気がするのだが、とするとヨーロッパから入ってきた考え方なわけだ。

この問題は、生きていく実際においては、ほとんどどうでもいいことのような気がするのだが、なんだかとっても気になるのである。はっきりしてくれ! と言いたくなるのである。

で、なにか調べる時は今やネットなので、早速調べてみるとこういうことらしい。

news.1242.com

やはり「週の始まりは日曜日から」というのは、キリスト教から来ているとのことだ。

だが、なんということだ、このネットの記事によると、ヨーロッパでは月曜日が週の始まりとなっているというではないか。やっぱり月曜日の朝に、「さあ、今週も一週間、頑張るぞ〜!」という方が、現代人の生活リズムにはあっているということなんだろう。わたしの感覚は間違っていなかったということが証明されたみたいで、喜ばしいことである。よかった〜。

YouTubeはやっぱり世の中を変えていると思う

このはてなブログには、「読者になる」という機能があるのはみなさんご存知と思う。

わたしが読者になっている、下記のはてなブログ「中世文学漫歩」で知ったことを、今日は書こうと思う。

mamedlit.hatenablog.com

勝手にこんな紹介をしていいのかどうか分からないのだが、ブログで公開していらっしゃるのだから良しと解釈して紹介させていただく。

このブログを読んで知ったのだが、You Tubeのオンラインミーティング「2/6 Don’t Be Silent #わきまえない女​ たち」という動画がある。もちろんわたしは見たのだが、今でも見られると思う。

www.youtube.com

東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長が女性蔑視発言をして、辞任したのだが、それは2月12日のことなので、この動画は辞任が決まる前のことである。この経緯についてはもう大きなニュースになっているのでここには書かないが、下記のようなニュースでもう知られていることと思う。

news.yahoo.co.jp

この森喜朗さんの発言の背後にある日本社会の問題を、24人の女性の視点から、しかもかなりいろいろな仕事や活動をしている女性がいまも、あるいはこれまでに活動してきている中で実際にご自身が受けた、同じような男社会からのわきまえ圧力などの話をされている。そしてこれからそういう社会を変えていくにはどうしたらいいのか、自分たちはどうしたいのかということまで、しっかりとみなさん述べられている。

これでもちろん日本の社会がすぐにどうこうなるというものではないと思うのだが、少しずつは変わっていく一つのきっかけになると思う。とにかく、問題に対してこんなに素早くきっちりと対処して自分たちの意見を公表するというこの行動力に感服した。今後の活動も含めて期待したい。楽しみである。

ところで、この意見表明は、YouTube というもの?仕組み?を使って公表されたわけだが、以前ならば、きっと新聞や雑誌や書籍を使っていたのではないかと思う。YouTubeの方が即座に自分たちの思うようにできるということなのだろうか。出版界に身を置くわたしとしては、そこのところがちょっと残念というか悔しい思いがある。でも、こういうことが即座に可能になったということは、喜ぶべきことではあると思うのだ。歓迎すべき変化だろう。出版界もその変化についてゆかねばならないのだと思う。わたしも、変化を楽しみたい。

野生の馬

わたしは人間の寿命からするともう長く生きてきているのだが、それなのにまだまだ知らないことがあって、ときどきあまりの無知に愕然としている。最近また愕然としたことがある。東京FMラジオの番組「いのちの森」で知ったことである。まあ愕然とはするのだけれど、知らなかったことを知るのは楽しいので、いいんだけれどね。

www.tfm.co.jp

それは、「日本に野生の馬がいる」ということである。 野生動物と言えば、シカとかイノシシとか熊、猿、カモシカなどが、大きい動物として思い浮かぶのだが、牛とか馬とか豚とかは野生にはいないと思っていた。ところが馬はいるというのである。ほんとなのだろうか。

その番組のパーソナリティの高橋万里恵さんと、日本の馬、在来馬を追いかけているフリーランスカメラマンの高草操さんのお話によると、その馬というのは、宮崎県の都井岬というところに暮らしている御崎馬(みさきうま)だとのこと。もっとも本当の野生ではなく、以前は人間に飼われていた馬が野生化したということらしい。で、いまは人間は一切世話はしてなくて、野生状態で暮らしているということだ。

ja.wikipedia.org

野生の馬。会ってみたい。

野生の◯◯という生き物が、いまはどんどんいなくなっている、絶滅しているので、こういう話を聞くとなんだか嬉しくなってしまう。この御崎馬にはこれからも絶えることなく野生のまま生きていってほしいと思う。もはや人間が何らかの形で保護しているから野生で生きていられるという状態なのかもしれないが、そういう、野生動物がちゃんと生きていける豊かな自然をしっかり残していかないといけないのではないか。

そういう野生動物が生きていけないような地球になってしまったら、人間だって生きていけなくなるのではないだろうかと思う。わたしは人間だって自然の一部なんじゃないかと思うのだが、どうなんだろうか。というか、わたしは自分が自然の一部でありたいと切に願う。地球上でぽつんと一人いるのではなく、足許の土、そこに伸びている木、空から降ってくる雨、ずうっと流れている川、休むことなく吸い込んでいる空気、空を舞う鳥、飛び跳ねる昆虫、走っている犬、それらすべてがあってのわたしなのだ。わたしはひとりではない。だから楽しいんじゃないかな。

疲れたときには、甘いもの

今日は、わたしは遅くまで会社で仕事をしたので、自宅にたどり着いたときには結構疲れを感じていた。というのも、このところ東京都では新型コロナ感染防止のため緊急事態宣言が出されているので、なるべく在宅勤務にしているし、出社してもなるべく早く帰宅するようにしているのだ。だからたまに遅くまで残業をするとその疲れ方が激しい。

人間ってホントに慣れる動物だなあ。コロナの前は結構な割合で残業をしていたから、残業したからといって疲れたと感じるようなことは殆どなかった気がする。

というわけで、疲れていたせいだと思うのだが、無性になにか甘いものが欲しくなった。で、思いついたものが、ココアであった。カップにココアを小さじ4杯くらいたっぷり入れて、少しのお湯でしっかりと溶いて、あとは牛乳を入れて温めながらココアを溶かす。適度に温まったところで、今日は砂糖ではなくはちみつをこれまたたっぷりと入れた。これで出来上がりである。

ただ甘いものだけならばチョコレートや甘いお菓子でもいいのだが、ココアだと体が温まるのがいい。甘い、温かい、この2つが重なったほうが断然幸せ感が増すような気がする。寒い時期にはということだが。

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ふう〜。甘くて美味しい。寒い時期はこんなふうに、ときたま甘いココアが飲みたくなる。

ところで、「ココア」ってほぼチョコレートだと思っていいような気がするのだがどうなんだろう。と飲みながらちょっと疑問が湧いてきた。一体ココアってなんなのだろう? 味はチョコレートそのもののような気がするのだが、どうなんだろう。早速ネットで調べてみた。

www.morinaga.co.jp

思っていた通り、「ココアとカカオ(チョコレートの原材料)は同じもの」という答えが製菓会社のサイトに載っていた。まあ味が同じだからやっぱりそうなんだね、と納得した。う〜む、カカオ最高!

 

 

コロナ禍での対応はいかに

わたしが時々通る道にあるパチンコ屋さんがいつの間にか閉店していた。ドアが閉まっていて、貼り紙が貼ってあった。これはコロナの影響なのか? パチンコもまあ閉鎖空間で、密になるところだなあ、考えてみると。おしゃべりはしないと思うが。

コロナ禍で、飲食店が閉店に追い込まれていることはニュースにもなっているし、わたしが訪れたことのある店が営業をやめたというのを実際に見てきてもいる。でも飲食店以外は営業を止めたというのは見ていなかった。今回のパチンコ店がはじめてかもしれない、わたしの身近においては。

考えてみるともうコロナ禍も1年続いている。これまではなんとか持ちこたえてきた店もいよいよ厳しくなってきているのかもしれない。とにかくどこかに行ってはいけないというのでは、人に来てもらわなければ商売にならない店にとってはどうしようもない打撃だ。工夫をしよにうも、対策がなかなか考えつかないのではないだろうか。

人に来てもらわなくとも成り立つことってなんだろう。来てもらえないのなら反対にこちらからお客さんのところに行くということか。つまりは出前かなあ。飲食店以外では通信販売かな。持ち帰りはお客さんに来てもらわないとだめだし。それと、ネットの活用かな。ネット経由で見せたり聞かせたりすることで商売をするということだ。

スポーツジムなども、お客さんにジムに来てもらってはじめて商売になるわけだが、今はなかなかそれも難しいだろう。休会したり退会している人が多いのではないか。だからジムは今、ネットを使って、お客さんは自宅で一人で、ジムが提供するインストラクターの動画を見ながら運動やヨガやストレッチをするという方法に力を入れつつあるようだ。わたしもそういうのを利用したことがあるが、しかし、周りでみんながやっているから自分も頑張れるというところがジムにわざわざ行くという意味であることを思うと、やはり自宅で一人での運動というのは、なんだか力が入らない。

コロナへの対応、まだまだなにかいいアイデアがあるかもしれない。考えよう。

 

 

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煮干しの日は、煮干しのことを知ろう

今回もまた煮干しの話。しつこくて申し訳ないが、わたしは煮干しのことが大好きなのでご勘弁を。

今日、2月14日は煮干しの日である。

ところで「煮干し」って何であるか、みなさんはご存知なんだろうか。読んで字のごとく「煮て干したもの」である。そのまんまなのだが、では一体何を煮ているのか?

 

それは「カタクチイワシ」という魚なのだ。煮干しって、身長というか長さはだいたい10センチよりちょっと短いくらいである。煮て干されてしまって縮んでいるのだろうが、もともと海の中で泳いでいるときだってそんなに大きいわけではない。せいぜい15センチ位が普通の大きさの、小型魚である。煮干しにされるのはもう大人になったカタクチイワシなのだが、まだ小さな子どものときに取られたものは、シラスとして丼にして食べられたり、チリメンジャコにされたりと、なかなか多難な魚なのである。赤ちゃんのときから大人になってまで、人間に追いかけ回される可愛そうな魚なのである。でも、食べても美味しいし、出汁をひいても美味しいのだ。わたしたち人間にとっては、とくに日本人にとっては無くてはならない魚と言ってよい。日本に暮らしている人だったら大抵の人はだれでもお世話になっているはず。

 

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