だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

再び、煮干しの日

わたしが昨日もブログに書いた通り、2月14日は「煮干しの日」である。

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こんなこと一生懸命書いても、世の中は2月14日と言えば「バレンタインデー」一色なんだろうな。まあ貰うのならば、煮干しよりはチョコレートの方が美味しいのでよりうれしいという気持ちはわたしにもあるので、それがいけないなんていう気は決してない。まただからと言って「煮干しのチョコレート」はどうしてないんだ? と騒ぐ気ももちろんない。

そう、2月14日はバレンタインデーである。だけど煮干しの日でもあるのだ。チョコレートはみなさん年中食べているのではないかと思うので、年に1日くらいは、「煮干しって美味しいよね(((^-^)))」と思いを馳せる日があってもよいのではないかと思う。

自宅でお世話になっていないとしても、定食屋さんやラーメン店ではお世話になっている可能性があるのだから。

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もう一度記しておこう。2月14日は「煮干しの日」だ〜!

煮干しの日

煮干しの日」というのがある。何月何日だかわかるだろうか。

ぼし」だから,2月というのはだいたい予想がつくであろう。問題は「ぼ」と「し」であるが,「し」もわかるであろう,そう「4」だ。では「ぼ」は?

 

ヒントは,読みを「にぼし」でなく,「にぼーし」とちょっと伸ばすのである。そうすると「にぼうし」となる。なので真ん中の読みは「ぼう」となって,「棒」になる。そう,一本の立った棒ということは,「1」(いち)である。

 

なので,正解は,「2月14日」が,「煮干しの日」なのだ。2月14日にはぜひ,味噌汁の出汁を煮干しで取ろうではないか。まあ妥協して,「煮干しラーメンを食べる」というのもいいかもしれないが。

なんで、こんなブログタイトルなの?

「だいたいは日々のなんでもないお話」、これがわたしのブログのタイトルである。なんでこんなタイトルにしたかと言えば、そもそも、「なにかひとつのことについてガッツリ書くぞ!」というような決断をしてブログを作成して書き始めたのではないのである。なんとなくブログでも始めてみるかという実に情けない理由というか理由にもならないような理由というか、ほんとに、なんとなく始めたのである。

だから、もう何を書いてもいいようなタイトルにするしかなかったのが、理由といえば理由である。だからこんななんだかとってもわけのわからないタイトルにしてしまったのだ。なんだかこうしてここに書いていて、ますます情けなさが増してくる気がするが、これが本当のところだから仕方がない。

 あっ、でもいくらそんなわたしでも少しは考えていたことがある。それは、こうして誰でも読める場所に自分の書いた文章を公開するからには、少しは何かについて考えた末のことを書かざるを得ないだろうし、ひょっとしたらこうしてなにかを書くために、何かを考えることをせざるを得ないところに自分を追い詰めることもできるのではないかと思ったのである。こうして書くことで、いま自分が何を考えているのかを自分で知りたいと思ったのだ。なんだか変かもしれないがそういうことだ。

となると、わたしが名乗るとすると、こんなことになるのかな。「思考派ブロガー」。「思考派ブロガーのケイエイチ」ですと、今後は名乗ろうかな。

いや、「思考派」って、ちょっと偉そうだな。「思考」と言えるほどのものを重ねた文章がこれまでにも書けてきているのかどうか怪しい気がするのだ。うーむ、ではこれくらいならいいかな。「考えよう派」ブロガーというのはどうか。

「考えよう派ブロガーのケイエイチです」と今後は名乗るかな。

 

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ではまた。考える派ブロガーのケイエイチでした。

 

お題「 なんで、こんなブログタイトルなの?」

 

買ってみた、「カカオティー」

お題「これ買いました」

 

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わたしが「カカオティー」なるものがあることを知った話を以前書いた。 

kwsk.hatenablog.jp

 で、ようやく通販で見つけて、買って、飲んでみた。

アマゾンで見つけて注文したので、「置き配」である。アメリカの会社だからだと思うがほんとになんというか思いっきり乱暴なやり方をやっちゃうよなあと感心してしまう。黙って玄関の外に置いていくんだよ。最初この話を聞いたときには、「えっ、黙って置いていっちゃうの? チャイムも鳴らさないで?」と半分信じられなかった。がほんとにやっているのだ。で特に問題も起きていないということなんだろう。いまもやられているということは。

注文のときに「置き配はしないで」ということを指定もできるようだが、わたしはこの置き配の便利さに慣れてしまったので、アマゾンではいつも置き配である。価格の高いものを頼む時は置き配にはしないと思うが、まあ今回のようなカカオティーくらいなら、万一無くなっても諦められると思うので、置き配で良い。いちいち配達に来たときに取りに出なくても良いというのはなかなか快適なのだ。メールで配達状況がわかるので、こまめにチェックしていれば、ドアの外に置かれてそんなに時間が経たないうちに取ることができるのだ。

さて、送られてきた包みを開けているともう微かなチョコレートの香りがしてきた。いい感じである。封を切って中を見るとカカオの破片?のようなものがいっぱい入っている。見た感じはまるでどんぐりの皮だね。お茶の葉っぱという感じではない。

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微かにチョコレートの香りがするが、味はココアをすごくすごく薄めたお茶という感じだった。まあこんな感じになるのかなあと想像していた通りであった。チョコレートの香りを楽しむ紅茶だ。香りに癒される。

原材料名は「カカオシェル」とある。カカオの外皮。

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カカオティーも悪くはないが、わたしはコーヒーのほうが好みだな。

 

カカオティー/リーフタイプ

カカオティー/リーフタイプ

  • メディア: 食品&飲料
 

 

ブログに絵や写真

ブログというと、基本は文字だと思う。少なくともわたしの場合はそうだ。でも、絵や写真があるとなんとなく楽しい感じがする気がするのである。そんなことあるとおもうのだがどうなんだろう。だからというわけではないが絵が描ける人はいいなあとずっと思っている。

わたしは子どもの頃から絵を描くのは苦手で、小学校の図工の時間は嫌いだった。多分、自分が思い描いているように、自分が今見ている景色や物が、見ているように描けないのが嫌なんだろうと思う。どうしたらちゃんと見ている通りの絵が描けるのか、その方法を学校では習ってこなかったと思う。

でも工作は好きだった。どこをどうすればどんな物ができるかちゃんと教えてくれたし、説明を読めばわかった。だから上手下手はあったが一応使えるものを完成させることはできたし、作ることは楽しかった。

ところでわたしはこのブログに時々だけど、下手な絵を描いている。iPadで使える無料のお絵かきアプリを入れて使ってみたところ、下手ではあるがなんとか描けるし、いくらでもやり直せるので、最初に構図などをほとんど考えないでとにかく描いてみるということができることがわかったのだ。それで、おかしな部分だけを消して描き直せばいいのであるということがわかった。もっともだからといって上手に描けるようになったわけではないので、一応変ではなく何が描かれているのかはわかる程度の絵なので、見せられる方は迷惑なだけかもしれないが、まあご勘弁願いたい。少しずつうまくなっていくかもしれないと自分では期待しているのだ、実は。乞うご期待。いや、絵を描くのって、なかなか楽しいのだ。

 

f:id:foldingkayak:20210211013025j:plain左手をどうしていいかわからない絵。

 

目覚まし時計の必要のない幸福のなんと幸福なことか

お題「#この1年の変化」

ということだが、わたしにとってのこの1年の変化はなんと言っても「新型コロナ」による自粛生活だ。わたしの場合はということだが、他の人も「この1年の変化」ということならばやはりコロナによる影響がとても大きいのではないかと思う。

新型コロナ禍にあってわたしの生活でいちばん変わったことは、仕事でのテレワークの導入だ。最初は恐る恐る始めてみたのだが、やってみるとなんとかなるもんで、いまや半分以上が在宅勤務になっている。全く出社しなくても大丈夫というわけにはまだまだ行かないのだが、しかしこんなに出社しなくてもなんとかなるとは、1年前には思いもしなかったことである。やればできるとはこういうことか。

自宅で仕事をするということは、すなわち会社に行かなくてもよいということである。つまり通勤が無くなった。これが大きい。通勤に費やしていた時間がまるまる自分のものになった。これはうれしい。と言ってもわたしの場合は、その時間になにか有意義なことを始めたとかそういう建設的な方向には向いていないので、他の人に知ってもらって役立ててもらえるとか言うような話ではまったくないのでお恥ずかしいのだが、睡眠時間が増えたというか、何時までに必ず起きて自宅を何時には出ないといけないという縛りが無くなったということである。これがうれしい。

わたしが何がうれしいかということを具体的にいうと、自宅勤務の日は「目覚まし時計を仕掛けなくても構わない」ということがとっても嬉しいのである。目が覚めたらほとんどすぐに仕事をし始めることがやろうとおもえばできるので、これまでの、目が覚めて朝ごはんを食べて着替えたりの支度をして自宅を出て電車に乗ってそして最後に会社につくまでの時間が必要なくなったのである。素晴らしいではないか。だから目覚ましを仕掛けること無く、自然に目が覚めるまで寝ていても、まあ大体これまでだと会社につくような時刻までには目が覚めるので、自宅勤務の日には目覚ましを仕掛けないでも大丈夫ということがわかった。なので数ヶ月前からそのような生活になった。

そのことがわたしには何だかすごく快適で、寝るときも、目覚ましをかけずに布団にはいることができることがすごく楽しいのである。横目で枕元に置いてはいる目覚まし時計を見ながら、今日はきみの出番はないのだよふふふなんて言いながら掛け布団をかけている。なんでこんな目覚まし時計をセットしないでもいいというだけのなんでもないようなことなのにそんなに喜んでいるのか自分でもよくわからないのだが、なんでなんだろう。考えてみた。……そう、多分わたしが朝に弱い人間だからなんだと思う。それともただ単にお寝坊さんだからかな。まあなにはともあれ、テレワークバンザイである。コロナ禍で見つけたシメタである。もちろん今夜も目覚ましをセットしなくてよいのである。ああ幸せ〜。

 

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定食屋 大戸屋

わたしは、お昼ごはんは外食することが多い。中華料理屋さんとかベトナム料理店とか、ラーメン、洋食、蕎麦、カフェなどいろんな店に行のだが、よく利用する定食屋は大戸屋である。はっきりとした理由は自分でもよくわかっていないのだが、なんとなく気に入っている。もっともこのところ東京都に非常事態宣言が出たこともあり自宅勤務の比率が大きくなってきているので、以前に比べると大戸屋に行く回数もぐんと落ちている。が週に一回くらいは利用していると思う。

www.ootoya.com

さて、その大戸屋だが、なんとコロワイドという会社に買収されてしまった。昨年の秋のことである。コロワイドという会社についてはわたしはこの買収騒動がニュースになったのを見て初めて知ったのだが、呑み屋の甘太郎とか牛角という店の母体のようである。わたしはこの甘太郎や牛角を利用したことがないので、コロワイドについてなんとも判断がつかないと言えばつかないのであるが、経営方針として店の中でなく他で調理した料理を運ぶことによって価格を下げるという事があるようで、わたしはどうもそれには賛成できない。それぞれの店で調理してできたての料理を出してほしいと思う。それが大戸屋が大切にしてきたやり方だったのではないのかと思うのである。

コロワイドにすれば、大戸屋はその店内調理のおかげで他の定食屋に比べて価格が高騰してしまい赤字を出すようになったのだから、そのこだわりを捨てて値段を下げてお客さんが増えるようにしたいということなのだろう。しかしわたしからすると、それでは大戸屋は他の定食屋と同じになってしまうと思う。値段は安くできるかもしれないが味も落ちてしまうのではないか。いまの大戸屋はそうではないから、わたしをはじめとする大戸屋ファンは他の定食屋さんでなく大戸屋に行っているのだから、そこは残してほしいと思う。のだが、赤字から脱却するためには何かを買えていかないといけないこともまたそうなのであろうなあ。残念だがそこは認めるしかないと思う。

www.colowide.co.jp

もうすでに買収は成立してしまったのでわたしひとりが騒いでもどうともならないとは思うのだがとても残念である。が、いまのところまだコロワイド風にはなっていないと思われるのでせっせと通っている。でもそのうちいつかメニューが変わって値段が下がるときがきっと来るのだろう。残念だがその時わたしはどうしたらいいのだろうか。大戸屋に代わる定食屋って見つけられるのだろうか。不安である。だけれどこれまで大戸屋を十分楽しませてもらってきたのだから、もしそうなってもそれはそれで受け入れようと思う。大戸屋を利用する回数はぐんと減るかもしれないが、それでもいい。変わっていくことは止めようがないと思うし、わたしだって自分ではなかなか気がついていないと思うのだが少しずつ変わっていっているに違いないのだから、いいじゃないか。変化を楽しもう。そう、これがきっかけでひょっとしたらもっとお気に入りの定食屋が見つかることだってないとは限らない。いやきっと見つかるしそういう新たな定食屋が現れるに違いない。変わることを楽しもう。

 

toyokeizai.net