だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

仕組まれた楽しみ

先日、お昼に天麩羅うどんを食べた。

なぜだか、朝から天麩羅うどんが食べたいと言う気持ちがもくもくと湧いてきたのである。もともとうどんも天麩羅も大好きなので、そういう気持ちが湧いてくることにふしぎはないのであるが、なぜいまなのかはちょっと分からなかった。

が、なんとなくその謎が解けたようである。

思い出したのである。その前日の夜にテレビでうどんのコマーシャルを見たことを。きっとそのせいに違いないと確信した。もともとうどん好きなのでより強く影響を受けたのかもしれないが、テレビCM、すごい。というか、ちょっと怖くなってきた。

わたしはテレビは日本人の平均視聴時間よりも少なくしか見ていないと思うのであるが、コマーシャルを見るのは嫌いではない。一つの情報としてみているつもりであった。しかし今回のうどん欲求醸し出し事件に気が付いて、ちょっと愕然としているのである。わたしもコマーシャルの影響から離れられてはいないのであるということがはっきりしたからである。

 

まあ、考えてみると、こういう影響がはっきりとあるから、企業は高いお金を支払ってテレビなどのコマーシャルをしているのであろう。もしコマーシャルを流してもその商品の売り上げが上がるという結果に結びつかないのであれば、コマーシャルに高いお金を出す企業はなくなるであろう。

わたしは、これまで、じぶんはそんなテレビなどのコマーシャルに影響を受けて消費行動を決めたりなんかしていないぞ、となんとなく思い込んでいたのである。

が、今回のことがあって、決してそんなことはなかったと思い知らされた。これまでもおおいにテレビや新聞、ネット、電車のつり広告、ラジオのコマーシャルなどにかなりつられていたし今もつられているに違いないとほぼ確信した。資本主義の仕組みの中にどっぷりとつかっている自分がいることを。かといって、その仕組みの中から一人だけ出ていくことはたぶんできないであろう。ほんとに、そこここにコマーシャルがあふれていることにもあきれてしまうのである。

だがしかし、今回、その事実を身をもって思い知らされ、自覚できたことはとても良かったと思う。今後は、テレビコマーシャルをジーっと見つめるのはやめようかと思う。今のところそんな対処しか思いつかないのである。