だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

女性の「自由」

山奥で暮らしている人々を紹介しているところを、テレビ番組で見た。その中のひとりにお年寄りの女性がいて、こんな事を言っていた。「はあ、もういまは自由よ、自由。畑仕事が生きがいで、楽しいのよ」というようなことであった。「自由」って、この人は何のことを言っているのだろうかと、すぐには理解できなかった。

よく聞いてみると、どうもこの「自由」というのが、夫が亡くなって、一人暮らしになったかららしいのだ。

 

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(一生懸命、楽しそうに畑を耕す高齢の女性)

 

「いまは一人になったから気ままに暮らしている」とかなら、なんとなく納得なのだが、「自由になった」って大きな声で嬉しそうに言っていたのである。結婚相手が亡くなったことを、「自由」って表現するとは、ちょっと驚きであった。

男であるわたしは、つまるところ、そう言う方ではなくて、言われる立場にあるということになると思うと、なんとも複雑な思いである。うーむ、夫というのは、妻を縛って自由を奪う生き物だったのか、そうなのであろうか。

本当にそうなのか?と思って、しばし、思い出そうと試みた。とりあえず、自分のことはさておいて、まわりの知り合いの夫婦の様子をである。うーん、そういえば、「平日の夜は、晩御飯の準備があるから、外になんて行けないわ」とか、「休みの日に出かけるときは、食事を作っておいてからでないと出かけられない」とかいう女性の声を何度も聞かされている記憶がある、たしかに。そうだな、世の結婚している男性の多くは、かなり女性の自由を奪っているのか、やはり。

いや、しかしわたしは、そんなことはないはずだ。と思っているのだが、もちろんその判断はわたしが下すものではない。妻の範疇だ。実際どうなのであろうか、と少し心配がないわけでもない。しかし、少なくとも、平日の夜であろうが休日であろうが、妻は出かけてはいるので、世の中の平均に比べるとかなり自由であると思っている。わたしが思っているということではあるのだが。

 

いやいや、でもでも、女と男の関係はそんなものだけではないだろう。そんなものだけでは寂しすぎるではないか。もともと他人の二人が一緒に暮らすということは、お互いに自由を奪うということは避けられないのだから、それは、マイナスと言うだけではないのだ。と思う。

一人で畑仕事も自由でいいかもしれない、たしかに。だがしかし、二人で畑仕事なら、自由さは減るかもしれないが、もっともっと楽しくなるのではないか? そうだよな。仕事も捗るし。

テレビで「自由だ〜」と言ってたかた、そうですよね?