わたしは万年筆が好きだし、もう愛していると言ってもいいくらいなのだが、そんなわたしでさえだんだん万年筆を使う機会がなくなってきている。いやわたしに限ったことではないと思う。じっさい、わたしの身の回りで、万年筆を持っている人がほとんどいない。それに色んな場所においても、万年筆で何かを書いている人を見かけることは最近あまりないと言っていいと思う。
なので、「万年筆は、絶滅するかもしれない文房具の一つと言ってもいいかもしれない」などと少し前のブログに書いた。
「そういえば、万年筆ってホント見かけなくなったよな」と思いながら、もう一つ思い出したものがある。「手帳」である。しかし手帳は万年筆とは違って、いまでも、年末や年度末には、書店や文房具店の売り場にずらりと平積みされている。が、よくよく思い出してみると、手帳を手にしている人を見かけることが最近は少し減ったと思うのだが、どうだろうか?
わたし自身は、すでに数年前から紙の手帳を使うのは止めている。スマホのアプリで事足りているからだ。カレンダーアプリやメモアプリを愛用している。書き込むのも、見るのもとっても楽だし、一度書いたことの修正も簡単にできるのがよい。それに、持ち忘れるということがほぼないのもよい。書き込むのに万年筆はもちろん、ペン類を必要としないというのも長所かな。こうなってくると、手帳が世の中から消えてゆくのも時間の問題のように思うのだが、どうだろうか。
とはいえ、電子ブックが登場してからかなりになるが、「紙の本はいずれ消える」と言われたりもしていたが、どうもその気配はまだまだない。となると、紙の手帳も結構しぶとく生き残るのかもしれない。ささっと、文字だけでなく図や絵が書けるという簡便さというか、融通がきくところは、まだまだ紙の手帳のほうがスマホより便利かもしれない。保存性も一面ではスマホよりいいと言えるかもしれない。間違って消してしまうということも、アプリに比べると少ないと思う。
こうして考えてみると、「紙」ってやはり相当偉大な発明品であると言っていいのではないだろうか。中国、すごいなあ。
わたしは、紙の手帳は今はもう使っていないが、紙は好きである。紙にささっとメモをとるのってなんだか気持ちがいい。万年筆ももちろんいいのだが、そういうときは柔らかい鉛筆が好きである。そういえば、「書道」というものも、上手なわけではないが、わたしの好きなことの一つだ。
*これまでたいそうお世話になってきた「手帳」のことを思い出し、考えを巡らせていたらふと頭に浮かんできたことば。
「手帳を大事にしてちょうだい」