だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

使い捨てには、慣れない

わたしは、コロナ禍のなか、外出するときにはマスクをつけてから出かけるようにしている。大抵の人は、いまやそのような行動をとっていることと思う。

 

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ところで、わたしがつけているマスクはすべて、洗って干して何度も使えるマスクである。ドラッグストアなどに行くと、使い捨てのマスクがたくさん売っているが、買ったことはない。しかし、そんなに売られているということは、使い捨てマスクを買って使っている人はたくさんいるということなのだろうと思う。

わたしは、なんだかどうも「使い捨て」には抵抗があるのである。「もったいない」という気持ちがむくむくと湧いてきてだめなのである。多分年齢のせいがおおきいと思うのだ、そう、わたしが子どものころはいまのように世の中にものが溢れてはいなかったのだ。が、それだけではないかもしれない。親からの影響もあると思う。

わたしは、使い捨てがだめなだけでなく、捨てるということがそもそもできないのである。いや、もちろん何も捨てていないわけではない。そんなに物を置けるような広い家には住んではいない、もちろん。だから渋々ではあるが、もう使うことはまずないだろうというようなものは、これまでにもたくさん捨ててきている。

だが、たとえば紙切れなども、「裏が白いから、この紙はメモ用紙として使えるではないか」と思うと、もう捨てられない。しかし、メモなんてそんなに取るわけはないから、そんなメモ用紙以外には用途がなさそうな紙切れがどんどん溜まってしまう。そして、流石にもうこんなにあっても、わたしが生きているうちに使い切れないに違いないと思えるほどに溜まってしまったところで、ようやく捨てる決心がついて、半分ほどを捨てるという行為の決断がつくのである、ようやくである。そして、捨てながら、ほんとに我ながらどうしてこんな物が捨てられないんだろうかと、自己嫌悪のような気持ちを抱くことになるのである。ほんと、情けない。

でももう、わたしはこのことに関しては諦めている。いまさら、使い捨てがばんばんできる人間に変わりたいとは思わない。もう今のままで行く。使い捨てはなかなかできない。それでいいのだ。だって、やっぱり、もったいないじゃないか。