だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

『自然農という生きかた』

今週のお題「最近読んでるもの」

 

最近読んで良かった本はこれ。

 

川口由一、辻信一『自然農という生きかた』

ゆっくり堂。23年9月)

 

タイトルの通り、農業を営んでいる川口由一さんのお話を、辻信一さん(アクティビストであり文化人類学者)が聞くという内容の本である。

わたしは農業を営んでいるわけではなく、興味を持っていて田植えや稲刈りをときどき体験したことがあるくらいの、農に関しては全くの素人である。農業といえば、田に一面の稲がなっているもの、畑には整然とキャベツとかネギとかスイカが並んで育っているもの、というくらいの知識くらいしか無い。

しかし、まあできることならば無農薬有機栽培の作物を食したいと願っている。だから「自然農」という言葉に引きつけられたのである。

ではあるが、この本のタイトルになっている「自然農」ということについては、最近になってやっと、「そういう農業の方法というのがあるらしい」ということしか知らなかった。

 

さて、「自然農」とは何かというと、本書にはこう書かれている。

「(自然農の)もっとも重要な基本は、耕さない。…それから肥料はいらない。持ちこまない。それから、草や虫を敵としない」

 

耕さない、肥料は使わない、農薬は使わない、草や虫をやたらと駆除しない、ということである。つまりは、いま行われている農業で、効率よく作物を育てるためにやられていることをことごとくやらないで、土に種を撒いて、そのまま育つのを待つということである。が、もちろん何もしないということではないようである。

川口さんはこう述べている。

「そして、気候に、天候に、土質に、作物の性質に、その場の環境に応じ、沿い、従い、任せてゆきます」

この、「沿い、従い、任せてゆく」というのが、自然農の大事なところというか全てであると言ってもいいような気がするが、この言葉のほんとうの意味は、たぶん実際に土と作物を相手にしてみないとわからないのではないだろうか、とわたしには思える。

では、農に携わっていない人にとっては読んでもしょうがない本かというと決してそんなことはない。すごくいろいろなことを考えさせられる本であることは間違いない。だからタイトルが「自然農」ではなく「自然農という生きかた」となっているのであろうとわたしは思う。「自然農」の話ではあるのだけれど、「生きかた」の本でもあるということである。農業を営んでいない人、あるいは農業を営んでいるけど自然農ではなく、田を耕し、肥料や農薬も使っているという人にとっても、生き方を考えさせられる内容なのである。

 

「はじめに」に、辻さんの書いたこういう一文がある。

「〈本来私たち人間はみな答えを生きるものだと思います。しかしそれがいつの間にか、問いをたてて、答えを生きるかわりに、その問いを生きるようになっていないでしょうか〉

 例えば、環境問題。在来種の種子を絶滅から守ること。絶滅危惧種の生息する生態系を守ること、二酸化炭素の排出を規制する法律をつくること。代替エネルギーを促進すること。原生林を破壊から守ること。それらひとつひとつはどれをとっても深刻な問題であり、重要な課題だ。またどれもがなくてはならない対策であり、立派な運動であるといえる。しかし、と川口は問う。それらの問題をたててその解決に取り組むことが、いつの間にか、〈生きる〉ということのかわりをするようになってはいないか。問題を追いかけることに忙しく、肝心の〈生きる〉ことがおろそかになってはいないか。

〈現代の農民というのもそうですわねえ。かつては農民の生き方そのものであった農が、いつの間にか解決すべき問題としての農業になってしまった。目指す収量、年収という目標に向けて、さまざまな手段を講じる。設計図にとらわれているんです。だから、今の農業では、種蒔きや田植えの時には不安がいっぱいですわねえ。果たして計画通りに芽が出るか、虫が発生しやしないか。未来についての不安が渦巻くんです。しかし本来農民が畑に種を蒔く時には何ら不安はないのです。大安心があるから、楽しいんです。未来にとらわれていない。今を生きている。今の中には過去も未来も切り離されずに入っている。答えを生きるとは、そういうことだと思います〉」

(〈〉の部分の言葉は川口さんの語ったことである)

 

わたしには、これこそ、いま世界中が資本主義の行き過ぎた世の中になったことが原因であると思う。自然農から離れてしまっている今の農業がそういうことになったのも、よりたくさんの収量と利益を求めていることが原因なのではないだろうか。そしてそれは、農の世界に限ったことではないと思う。いまやすべての分野に蔓延してきてしまっているのではないか。

だから、わたしは本書を読んで、こう考えさせられたのである。

問いを追う前に、まずは自分自身が「今を生きる」ことを取り戻すべきではないのか。ちょっと立ち止まって、自分の手許、足許をいま一度見つめ直してみたい、と思わされたのである。

多くの人が本書を読んで、わたしと同じように感じてくださり、いまいちど今を大切にゆっくりといきる生き方について思いを巡らしてくださることを切に願う。そこから今の、問いを追いかけてその追いかけている自分に追いかけられている生を見直してみたい。

そう、本書は、今の生き方を変えるきっかけとなるかもしれない本であると思う。自然農の実践はできなくとも、「自然農という生きかた」は誰にでもできるはずであると思う。そして、それこそがとても豊かで幸せな生なのではないだろうか。