だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

衣食住だけでは生きられない

「衣・食・住」は生きるためというか、死なないための最低条件であると思う。最低限、パンツを履いてシャツを着て、寒い冬には凍えないための服か布を体に巻く。最低限、たとえダンボールとビニールシートでも雨風を防げる場所があること。最低限、水と食べるものが毎日得られること。これがあれば、死なないでいられると思う。

しかしわたしは、生きるためには、そこに加えて、物語が必要であると思うのだ。

「物語」というのは、「芝居」と言ってもいいかもしれない。お話があって、動いて、喋って、歌って、踊って、音楽を鳴らして、などなどのすべてを含むものだ。必要というよりは、この、「物語ることがすなわち生きているということ」なのだと思うのだ。

ところが、新型コロナの感染防止のためには、この「物語」を抑制しなければならないわけだ。これは、人間にとって、いやひょっとしたら人間だけでなくかなりの動物にとって完全に物語らないなんて無理というものではないだろうか。それは殆ど「生きるな」と言われるに等しいのだはないだろうか。

緊急事態宣言で、さまざまな活動の自粛が求められているわけだが、それらの活動というのがこの物語るということなのだから、これはもう生きることを抑制せよと言われているようなもので、すべての人にとって生きる意欲を減退させる方向に働くことだと思う。経済が回る回らないということ以前に、まずいことなのではないだろうか。

少しはオンラインで取り戻せているかもしれないが、全てを代替できるわけではない。わたしは、自粛のし過ぎに気をつけたいと思う。生きていたいから。自粛をあまりしないというのも、周りの人にとっても自分にとってもリスクであるから、そういうわけにも行かないところが難しいところであるが、しかしやはり物語っていたい。

そう、この「物語りたい」という気持ちこそが、「生きるチカラ」なのではないかと思うのだ。お金を稼いで衣食住を整える力だけなんかではないのだ。

 

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(写真は登呂遺跡。大昔の人の住まい。暖かそうだ。)