だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

緊急事態宣言が延長された


わたしの住む東京都では、コロナ禍による緊急事態宣言が延長されてしまった。なんと5月いっぱい続くということである。長い。本来ならば明日の11日までであったはずなのだが。また飲食店などが営業時間の短縮や休業を余儀なくされるのであろうか。飲食店の方々は大丈夫なのであろうか。なんとか休業はしなくても良いような対策はないものだろうかと思うのだが、どうなんだろう。

わたしの通っているスポーツジムも休業してしまったのだが、これもやはり延長されるのだろうか。

そういえば、図書館は休業にはならなかったようである。これは良かった。

それにしても、新型コロナは、インフルエンザウイルスと違って、気温は関係ないのであろうか。暑くなったらいなくなってくれるのではないかと思っていたけれど、昨年はそんなことにはまったくならなかったから、きっと今年も夏になっても、コロナ禍は下火にはならないんだろうなあ。

 

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おしゃれ

わたしは、おしゃれな人に憧れている。いいなあ、と思う。羨ましいなあと思う。それはつまり、わたしがからきしおしゃれがだめだからである。

でも、どうして、わたしはおしゃれが苦手なのだろうか。そして、おしゃれが苦手な人間になったのはどうしてなんだろうか。ちょっと考えてみた。

そう言えば、わたしの子どものころって、どんな服を着ていたかなあ、と思い出してみよう。夏はランニングシャツと半ズボンだったかな。学校に行くときはシャツは着ていたと思う。しかし、自分で買うとか、買う時に自分で選ぶとか、そういう事をした覚えはないような気がするのだ。つまりは、わたしは子どものころには、おしゃれというものに関心がなかったということだろうと思う。これって、いまもそうなんじゃないだろうか、ひょっとして。

では、わたしが、大人になりかけのときはどうだろうか。高校はほぼ全員が男という学校に通っていたので、これまたほぼ毎日、制服のようなものを着ていたなあ。休日に街なかに遊びに行くときも同じ格好をしていたような気がする。うーむ、だめだだめだ。その後も基本、Tシャツとジーパンで暮らしていたと思う。これでは、わたしがおしゃれの感覚を身につけるときがないではないか。

このあとは、大人になるというか、社会人になるわけだが、そうなるともう、背広、またはズボンとジャケットの組み合わせ一本である。

そうか〜、こうして、いま大急ぎでわたしの過去を振り返ってみたのだが、どうやらそもそもおしゃれというものに興味関心がほぼなかったということが、わかった。そして、おしゃれに興味関心がなくっても、たのしく過ごしてこられたということである。

むむ、そうか、そういうことなのか。これがよくなかったのかもしれないな。おしゃれに興味関心を持たないと困るような環境で、わたしが暮らしていなかったということが、わたしがおしゃれな人間に育たなかったことの一番の原因だったのかもしれない。いや、これはなにも、わたし自身のことをどこかに置いておいて、周りの環境というか、家族や友だちというか、そういう他の人をせめているわけではない。ただそういう環境の中に、わたしという人間が生まれて育ったということを、改めて確認したということである。

そう、環境がわたしを作ったのである。だからわたしは、おしゃれになるということに、時間とお金を注がなかったというわけだ。

なにがしかの分野に詳しくなるなり、何事かを自分の身につけたいと願ったならば、やはりそこに時間とお金を使わなければならないということである。

 

いやいや今からでも遅くはない。では、いまからおしゃれにお金と時間を費やせばいいだけではないか、ということなのかもしれないが、どうもそう簡単には問屋がおろさないのである。未だに子どものときと一緒で、どうも、わたしは、おしゃれというものに関心があまり向かないのである。すぐに面倒くさくなってしまうのである。わたしは、本屋は好きでよくいくし、おおきな本屋の中でなら数時間滞在しても飽きるということがない。しかしながら、洋服屋さんには、そもそも入りたいと思ったことがそんなにはないのである。たまに入って洋服を見て歩いても、すぐに飽きてしまうのである。どうやらやはり、いまからおしゃれになるというのは、わたしにとっては、たぶん不可能なことのように思えてならない。

うーむ。わたしは、きっぱりと、おしゃれな人間になる夢は諦めよう。で、まあ、そうだなあ、おしゃれではないけれど、スッキリ清潔感のある格好に努めるということならできるのではないだろうか。

わたしは、しっかり銭湯に通って体を洗って、身も心もスッキとすることに努めよう。新しい服もめんどくさがらずに、ちゃんと自分で探して買おう。よし、決めた。

 

 

 

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今日も銭湯に

わたしは、今日、銭湯(せんとう)に行った。

 

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少し前に、久しぶりに銭湯に行ったという話を書いた。しかし、今日行った銭湯は、そこではない。違う銭湯だ。

先日の銭湯があまりにも快適であったので、とにかくなぜだか分からなないのではあるけれど、広いお風呂が大好きなわたしは、また銭湯に行きたくなったのである。そこで、自宅の近くに銭湯がどれくらいあるのかを調べてみた。そうしたところ、なんと、結構あることがわかったのだ。いやー、これはうれしいではないか。素晴らしいことである。なんで今までこのことに気がつかなかったのだろうか。もったいないことである。

 

というわけで、本日は、前回行ったのとはちょっと違う場所にある銭湯に行ってきたのだ。いやいや、ほんとにもっともっと早く気づくべきだった。そう、すごくいい銭湯だったのである。

最初に行った銭湯は、まあ、昔ながらの銭湯といえばいいのだろうか。大きな湯船が一つと、泡泡の湯船が一つあるだけの銭湯であった。ところが、本日行った銭湯は、ふつうの湯船はもちろんあるのだが、それ以外にも、泡泡湯船はもちろん、腰の部分にジェット水流が当たる湯船や、黒いお湯の湯船や水風呂もあるのであった。しかも、なんと2階があった。そこには、檜風呂があるのであった。いやー、気持ちいい〜。そして、お湯は温泉なのであった。これはいい。素敵だ。そして、サウナもあったのではあるが、このご時世なので、サウナは中止しているということであった。これは残念であった。がまあ仕方がない。あきらめた。

銭湯って、ほんとうにいいなあ。おかげで、今日一日がとてもいい一日になった。前回行った銭湯よりは、ちょっと遠くにあるのであるが、少し余計に歩くのもいい運動になって、いいのだ。せっせと歩いて、ぶくぶくとお風呂に入って、ぼ〜っとして、途中、花を見たり匂いを嗅いだり、川面を眺めたりしながら、ゆるゆると歩いて帰ってきた。あ〜、気持ちがいい。今日も、ほんとにいい一日になった。ぽかぽかである。よかった、よかった。

「銭湯に歩けば暑さ心地よい」一日であった。

 

kwsk.hatenablog.jp

 

 

 

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(銭湯といえばやっぱりこれ、富士山の絵。銭湯の絵はもっと上手だけれど)

テレビドラマ「半径5メートル」

わたしがこの春から見ているテレビドラマがいくつかある。

そのうちの一つは、金曜夜のNHK「半径5メートル」という、なんだかちょっとよくわからない題名のドラマである。たぶん、自分、というのはこの場合、主人公のことだと思われるのだが、から遠いどこかのできごとではなく、身近なところの問題についてのドラマである、という意味なのであろうか。わたしはすでに2回ほど見たのだが、まだその真意がよくわかってはいないかもしれないと思う。

話の舞台は、週刊誌の編集部である。トップの記事を扱う部署ではなく、身の回りのあれこれを扱う部署に配属になった女性が、主人公である。だからタイトルが「半径5メートル」なのかなと思われるのだが、はっきりとはしない。

わたしは、舞台が出版関係のドラマは、好きである、というか興味がある。見ておきたいのである。それがこのドラマを見始めた大きな動機なのだあるけれど、そればかりでなく、話の中身も面白いと思う。

週刊誌の編集部なので、主人公の女性は、当然、記事のネタをいつもいつも探しているわけである。そしてネタを探し出すわけだが、取っ掛かりはほんとになんでもないような、しょうもないことだったりするのだけれど、それを掘り下げていく視点が面白いのである。

ネタとなる事件、というほどのことでは全然ないのであるが、しかしその小さなちいさな事件のようなものを追っていくと、思わぬ広がり、いや、深まりがそこに見つかる、というのがまあ毎回の展開なのである。ほお、こんなことからそこまで探っていけるのか、と見ていてちょっと驚かされる。それが楽しい。テレビドラマもなかなかやるではないか、とこの春も思える作品に出会えて、わたしは、うれしいのであった。よかった、よかった。

 

thetv.jp

果実食

わたしは前回、「肉を食べないという人々がいる」という話を書いた。 

 

kwsk.hatenablog.jp

 

初めてそのことを知ったときは、わたしはほとんど信じられない気がしたものだった。ところがところが、それどころではないのである。もう一枚上手を行く人がいたのである。なんと「果実しか食べない」人間である。フルーツだけである。ほんとうか?

 

news.livedoor.com

 

いや〜、これはまたほんとに信じられないといいたいところだが、事実なんだろうなあ。しかし、この人の場合は、肉が嫌いとか、野菜が嫌いとか食べたくないとかいうのではなく、どうやら、「人間は果実だけを食べても生きていけるということを証明するための実験をするため」らしい。

 

いやあ、ほんとうに、世の中広い。わたしなんかにはほとんど想像することさえできそうにない事を考えて、しかも実行している人がいるのだから。うーむ。ほんと、おもしろいなあ。

なんとなく、わたしには、「野菜だけ食」よりも、こっちの「果実だけ食」のほうが楽しそうな気はするのだけれど、しかし実際に実行するとなると、これは大変な苦労があるような気もしないではない。

まあ、レストランでの外食はできないだろうなあ。これだけでもう、わたしなどはきっと挫折するだろうなあ。友人との会食もあまりできそうにない気がする。グルメな話題には全然乗っていけないだろうなあ。いやいや、わたしには耐えられそうにないなあ、やっぱり。苦行だ。フルーツを食べて苦行だなんて変な話だが、そうなるんじゃないだろうか。わたしにはやっぱり無理だ。いろんなものが食べたいのだ、わたしは。

 

考えてみると、食べるって、とっても大事なことのような気がしてきた。いやいや、ほんとにそうだ。いまはこんな事を言っているが、わたしは、若い頃はインスタントラーメンばかり食べていた。可能ならば、その頃の自分のところにタイムマシーンで会いに行って、「そんな食生活ではだめだぞ。食べたものがお前の体になるんだからな」と忠告してやりたい。

しかしそういえば、この果実食の人の体って、どうなっているのだろうか。やっぱり他の人とはちょっと違うのかなあ。気になる〜。

 

 

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野菜と肉

わたしは子どものころ、野菜が嫌いだった。全部の野菜が嫌いというわけではなかったのだが、たとえば、ピーマンとかネギが大嫌いだった記憶がある。肉とか魚とか卵は大好きだった。

まあ大人になるにつれて、少しずつではあるが、野菜も食べられるようにはなったが、いまだに野菜よりも、肉や魚や卵が好きであることは変わらない。

というわけで、人間という生き物は、そもそも肉類が好きで、野菜はそんなに好きではない生き物だと思っていた。

ところがどっこいであった。会社の同僚に、なんと、肉が嫌いだという女性がいたのである。はじめてその事実を知ったときはちょっと驚いた。肉が嫌いな人がいるのか! というわけである。その女性は、こどものころ、肉をあまりにも食べないので、親が心配して、なんとか肉を食べさせようと苦労していたというのである。いやあ、わたしと正反対である。

いやいや、いるんだなこんな人間が、と感心していたものであるが、その女性は、肉をまったく食べないというわけではないのである。ただ、好きではないということなのである。

 

ところがところがである。世の中はほんとに広いというか、肉をまったく食べない人達がいるということを知って、仰天してしまった。そんな人達が存在するということを初めて知ったときは、なかなか信じられなかったのだが、ほんとうにいるのであった。ベジタリアンとか、ビーガンと言われている人である。

 

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さて、わたしは、いまでは、そういう人たちのためのレストランまであるということも知っているし、そういう友人に案内されて、ベジタリアンのレストランに行ったこともある。レストランが成り立つということは、肉は食べないよ、野菜しか食べないよという人達が結構存在しているということであろうと思う。そうなんだ。しかもどうやら増加している雰囲気である。

しかしその反面、街なかにはなぜか、「肉」を売りにしたレストランもこのところ目がつく気がする。世の中の流れは一体どっちなんだろうか。「肉、大好き」か? 「肉なんか食べない!」か? どっちなんだ?

 

 

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いや、これは、どっちかとかいう問題ではなくて、多極化の始まりなのかもしれない。つまり、これまでの、人間は「雑食の生き物である」というような1種類にまとめられなくなってき始めたということではないのだろうか。

「草食動物としての人類」の出現ということである。現在のビーガンの人々の子どもが、生まれるやいなやビーガンになる日が来たならば、いよいよ人類は2種類の人類に分極するのではないかと予想するのだが、いかがなものだろうか。となるとこの赤ちゃんは母乳を飲めないわけだが、大丈夫なのか?

もっとも、わたしはそのことを確認できる前にこの世から消えていると思うのだ。自分の仮説の検証ができないとは、とても残念である。長生きしたいなあ。

 

ぬかよろこび

わたしは前回、アルコール飲料が消えた食堂の話を書いた。(もちろん、消えたのは東京都の緊急事態宣言中に限ってのことのはずだ)

 

kwsk.hatenablog.jp

 

しかし、アルコールが消えたのは、そこの食堂だけではなかったのである。例の食堂に行ったのとは別の日に、もう一つ、時たま利用しているファミリーレストランに行った。そうしたところ、ドリンクバーにこんな飲み物があった。

シャルドネ〇〇」「ソービニヨン◯◯」などなど。

これを見たわたしは、「おお〜、なんと、ワインが飲み放題に加えられたのか〜、やるじゃないか、◯◯◯!」と、とっさに思ったのだが、だがしかしすぐに、いやそんなわけないよな、お酒が飲み放題のファミレスなんて聞いたことがないぞ、と思い直したのであった。そして、それは正解であった。

シャルドネ……」と確かに書いてはあったのだが、それは「シャルドネ風飲料」、つまりはぶどうジュースであるらしいのである。「らしい」というのは、お酒ではなかったので、わたしは飲まなかったので、確認できていないのであった。そう、とにかく残念なことに、やはりアルコールではなかったのである。いや、ほんとに残念である。

しかしこれは、緊急事態宣言のためにアルコール類を出せなくなったからというので、その代わりなのだろうか? いやまさかそんなことはないよなあ。

というか、そんなちょっとしたメニューを目ざとく見つけて、一瞬とは言え、ぬか喜びをしてしまった、わたし自身に、われながら残念である。どこまでお酒が好きなんだ?

 

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