だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

目覚まし時計の必要のない幸福のなんと幸福なことか

お題「#この1年の変化」

ということだが、わたしにとってのこの1年の変化はなんと言っても「新型コロナ」による自粛生活だ。わたしの場合はということだが、他の人も「この1年の変化」ということならばやはりコロナによる影響がとても大きいのではないかと思う。

新型コロナ禍にあってわたしの生活でいちばん変わったことは、仕事でのテレワークの導入だ。最初は恐る恐る始めてみたのだが、やってみるとなんとかなるもんで、いまや半分以上が在宅勤務になっている。全く出社しなくても大丈夫というわけにはまだまだ行かないのだが、しかしこんなに出社しなくてもなんとかなるとは、1年前には思いもしなかったことである。やればできるとはこういうことか。

自宅で仕事をするということは、すなわち会社に行かなくてもよいということである。つまり通勤が無くなった。これが大きい。通勤に費やしていた時間がまるまる自分のものになった。これはうれしい。と言ってもわたしの場合は、その時間になにか有意義なことを始めたとかそういう建設的な方向には向いていないので、他の人に知ってもらって役立ててもらえるとか言うような話ではまったくないのでお恥ずかしいのだが、睡眠時間が増えたというか、何時までに必ず起きて自宅を何時には出ないといけないという縛りが無くなったということである。これがうれしい。

わたしが何がうれしいかということを具体的にいうと、自宅勤務の日は「目覚まし時計を仕掛けなくても構わない」ということがとっても嬉しいのである。目が覚めたらほとんどすぐに仕事をし始めることがやろうとおもえばできるので、これまでの、目が覚めて朝ごはんを食べて着替えたりの支度をして自宅を出て電車に乗ってそして最後に会社につくまでの時間が必要なくなったのである。素晴らしいではないか。だから目覚ましを仕掛けること無く、自然に目が覚めるまで寝ていても、まあ大体これまでだと会社につくような時刻までには目が覚めるので、自宅勤務の日には目覚ましを仕掛けないでも大丈夫ということがわかった。なので数ヶ月前からそのような生活になった。

そのことがわたしには何だかすごく快適で、寝るときも、目覚ましをかけずに布団にはいることができることがすごく楽しいのである。横目で枕元に置いてはいる目覚まし時計を見ながら、今日はきみの出番はないのだよふふふなんて言いながら掛け布団をかけている。なんでこんな目覚まし時計をセットしないでもいいというだけのなんでもないようなことなのにそんなに喜んでいるのか自分でもよくわからないのだが、なんでなんだろう。考えてみた。……そう、多分わたしが朝に弱い人間だからなんだと思う。それともただ単にお寝坊さんだからかな。まあなにはともあれ、テレワークバンザイである。コロナ禍で見つけたシメタである。もちろん今夜も目覚ましをセットしなくてよいのである。ああ幸せ〜。

 

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