だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

素晴らしいアイデア、ハイテク駐輪場

これは、ありそうでなかったアイデアだな〜、地下に作られた自動式の駐輪装置、ハイテク駐輪場である。

わたしがこのニュースを読んで最初に思ったのは、「素晴らしい!」ということと、「いままでなかったのか?」という疑問である。だって、車の自動式駐車装置ってあるのだから、自転車のそれがあっても不思議はないのではないか? と思ったのである。それとも、技術的に、最近になって可能になったことなのであろうか? あるいは、アイデアはあったが、経費がかかりすぎるというので没になっていたのであろうか? どうなんだろう。

news.line.me

 

駅前駐輪場と言っても、じつは駅からちょっと離れていたりすることが多いのだが、この駐輪場ならば、地上部分はほとんど場所を取らないから、駅のすぐ近くに作れるに違いない。利用者にとっては大変便利である。しかも台に乗せてボタンを押すだけでよいというのだから、駐輪の手間もかんたんである。これは便利だろう。

装置自体も、車のような重いものを乗せて稼働するということはないから、そんなに頑丈な必要もいらないだろう。ほんと、どうして今までなかったのかますます不思議である。

 

まあ、良いアイデアというものは往々にしてこんなものなのかもしれない。そう、実現してしまうと、まるでもうずっと前からそこにあったように感じてしまうアイデアというのは、つまるところみんなが潜在的に欲していたものなのである。

 

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アースデイ2日目

昨日に引き続き、きょうもわたしは、代々木公園にでかけて、アースデイ2021に参加してきた。きょうは昨日と違って、とってもいい天気で、公園ふらふら散歩日和であった。誠にいい一日が過ごせて、うれしかった。春になったなあとしみじみ感じることができた。

 アースデイも、昨日と違って、いっぱいの人出でにぎやかであった。よかったよかった。オーガニックのTシャツとか環境に優しい石鹸とか、服、パンなどなど、いろんな出展があって楽しめた。

わたしは、ひょっとしたら、自然派ワインが売っているかもしれないと思い、楽しみに探してみたのだが、ビールやお米や日本酒はあったが、ワインは売っていなかった。なぜなんだろう? とっても残念であった。

 

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というのも、わたしは最近、「自然派ワイン」というものに興味を持っていて、どんなものなのか、まずはちょっといくつか飲んでみたいと思っているからである。アースデイなら、自然派ワインがきっと売っているに違いないと思ったのだが、あてが外れてしまった。

仕方がないので、またいつものスーパーで、自然派ワインを買ってみようかな。

 

kwsk.hatenablog.jp

 

アースデイ

きょう、わたしは東京の代々木公園にでかけて、アースデイ東京2021という催しに参加してきた。毎年この時期に開催されているのだが、昨年は、コロナ禍で中止になったので、2年ぶりの開催であった。が、今年もコロナ禍は続いているので、一昨年のようにぎやかさはまったくなかった。ちょっと残念であったが、まあ仕方ないというべきであろう。しかも曇り時々小雨という天候でもあったし。

www.earthday-tokyo.org

アースデイは、明日もある。明日は天気も回復しそうなので、明日もでかけてみることにしよう。きっと気温も今日よりは温かいに違いない。公園をふらふらするにはいい気候になることを期待している。

 

アースデイというのは、そのままだと「地球の日」ということになるわけだが、まあ「地球のことを想う日」という感じなのではないかと、わたしは勝手に想像している。地球のことというのは、すなわちわたしたちがそこに暮らしている、環境のことということであろうと思う。自然環境をこれ以上壊さないような生き方を皆で考えて、提案し合うようなブースがたくさん出展されていて、ふらふらと歩きながら、その展示や販売しているものを見たり、出展している人たちとお話をするのも楽しい。

そして、「ああ、こんなに環境のことを考えている人がいっぱいいるんだ」ということを知ることができる。いくつかのブースで、環境を壊さないことに配慮しているものを購入して、すこしでも地球環境を守る方向に棹さしたいと思う。

 

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無駄なことなんてないのだ

わたしは、けっこう肩こりに悩まされている。パソコンの使いすぎか、それとも使い方が変なためなのか、正確な理由は分からないのだが、とにかく肩こりは、何とかならないものかと、ずっと思っている。まあ、根本的には運動不足かなとおもっているのだが、だからと言ってそんなにしょっちゅう運動ばかりやってられないではないか。だから、なかば諦めつつも、しかし何か良い解決法はないものかと、ウロウロと探し回ってはいるという状態である。

 

きょうも、ああ、方がこったなあと思っていたところ、すこし前のことになるのだが、「子どもには肩こりがないけれど、それはなぜか」という話をラジオかテレビで、聞いた記憶があったことを、思い出した。そう言われてみると、たしかに子どもが「ああ、肩がこったなあ」なんて言っているところを見た覚えは、わたしにはないと思う。

ではなぜ、子どもは肩がこらないのかというと、そう、運動不足ということがないから、らしいのである。とくに小さな子どもを見ていると、たしかに一時もじっとしていることがないように感じる。どうやら、これが良いことらしいのである、肩こり予防には。なんの目的もなく、ただ腕を振るとか、どこかに急ぐ訳でもないのに走り回るとか、ぴょんぴょん跳ねるとか。

子どもの、まったくもって無駄以外の何物でもないと思える動きにも、そういう効果があったということである。

そう、この世の中に、まったくの無駄なことなんてないのだ。そう言ってもいいと思う。だから、何でも気持ちを込めて一生懸命やりたい。

自然派ワイン

最近気がついたのだが、わたしが時々行くスーパーのお酒売り場に、「自然派ワインコーナー」という看板がある一角を見つけた。いつからできたのか、つい最近までまったく気がついていなかった。どうやら世の中では、「自然派ワイン」とやらが流行っているのかもしれない。

わたしは、「自然派ワイン」という言い方を知ったのは、わりと最近になってからのことである。それよりもずっと前から、「有機ワイン」というのは知っていた。「有機〜〜」というのは、たとえば「有機野菜」などでよく聞くし、スーパーの野菜売り場にはかなり以前から「有機野菜のコーナー」があったという記憶があるのだ。

しかし、「自然派野菜」という言い方はしないよなあ。うーむ、「自然派ワイン」とはいったいなんなんだ?

というわけでさっそくネット検索したら、出てきた出てきた。どうやらきっちりとした定義はないような感じであるなあ。でもまあ、「有機ワイン」と似ている感じでもあるが、わたしにはそのあたりの違いがよくわからない。

 

iewine.jp

 

うーむ、まあとりあえず、そのスーパーの「自然派ワインコーナー」のワインをいくつか飲んで、まずは体で「自然派ワイン」とやらを感じてみることにしよう。そのあとで、もう一度「自然派ワイン」と「有機ワイン」について調べてみることにしよう。

そういうわけで、本日はさっそく、研究のために「自然派ワイン」を一本買って帰ったというわけである。飲んでみるぞ。

 

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植物に関心を持つ

わたしは、人間は植物にもっと敬意を払うべきではないかと考えている。まあ、敬意とまでは行かなくとも、関心は持つべきだと考える。なんといっても、人間をはじめとする動物は、植物なくして生きてはいけないのであるから。動物が生きるために必要な、酸素も食べ物も植物が作り出してくれているのである。水だって、森なくしては飲めなくなってしまいと思う。

そんなわけで、わたしは、自然保護に大変関心を持っている。だから、発電に関して言えば、大気を汚染する火力発電や、山を破壊するダムを必要とする水力発電や、一度事故が起きればもう人間の住めるところではなくなってしまう原子力発電より、太陽光発電風力発電のほうがよいのではないかと考えている。

ところがである。そういう、環境に優しいはずの発電が、じつは環境破壊をしているという現実があるというのである。一体どういうことなのか。

たとえば、最近知った事例ではこうである。埼玉県飯能市の事例では、豊かな自然林の森が、太陽光発電の装置を設置するために伐られてしまうというのである。

 

azuhanno.hatenablog.com

 

しかもこの計画では、ソーラーだけでなく、サッカー場も作られる予定だという。どうしてこんな計画があっさりと認められてしまうのかわからないのだが、できることなら、豊かな森のままであってほしいと思う。

 

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改正義務教育標準法

日本の小学校の学級定員が何人か、わたしはちゃんと知らなかったのだが、わたしが小学生の頃と殆ど変わっていないのではないかと、なんとなく思っていた。だから、40人くらいかなあ、と思っていた。いや、わたしが小学生の時の学級は、40人よりたくさんいたかもしれない。1学級の定員は、45人以下だったのかなあ。

なぜそんなことを考えたのかというと、先日、下記のようなニュースを読んだからである。このニュースで、わたしは現在の日本の小学校の学級定員の正解を知ったのだが、現在の日本の小学校のクラス定員は、1年生は35人以下、2年生以上は40人以下ということである。1年生は35人なんだ。それは知らなかった。

このニュースによれば、「小学校の全学年でクラスの定員を35人以下にすることが決まった」そうだ。その法律は「改正義務教育標準法」で、3月31日の参議院本会議で全会一致で可決・成立して、4月1日に施行されるとのこと。前もってわかっていたことなのかもしれないが、こんな急に決まって、学校は対応できているのだろうか。ちょっと心配になってしまう。

もっとも、急にすべての学年ということではなく、今年度は2年生だけで、毎年1学年ずつ35人定員にしていくとのことである。

www3.nhk.or.jp

このニュースの解説によると、

1学級の定員を減らすと、学級数が増えるので、先生の数も増やさなければ対応できなくなる。しかし、小学校教員採用試験の倍率がこのところ下がっていて、それはつまりは先生になりたいという若者が減っているということだから、優秀な先生を確保することができるかどうかという問題が出てくる、

と述べている。

 

しかし、わたしが思うに、最近の先生はやることがいっぱいあって忙しくて、本来の仕事である授業やその準備に十分に取り掛かれていない状況になっているのではないのだろうか。子どもたちと過ごす授業よりも、それ以外のことに時間も心も使わないといけないというような状況では、希望をいだいて先生になった人だって、嫌になってしまうに違いない。そして、いまの先生たちが楽しく仕事をできていないということがわかれば、先生を目指そうという人が減るのは当然である。

今回のこの法改正によって、すこしでも先生たちが本来の仕事に専念できるようになるのならば、先生たちの心も明るくなるに違いない。さすれば、そういう先生に惹かれて、「わたしも学校の先生になりたい!」という若者が増えるに違いないと思う。まずは今の学校を、子どもたちにとっても、先生たちにとっても、楽しく過ごせる場所にするということが第一ではないのか。

いちばん大事な時間である、授業そのものと、その準備に先生たちが専念できるような学校にしなければならないと思う。

 

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