だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

いまや、本は古紙より価値が劣るの?

「あけくれ」という、『東京新聞』の読者投稿コーナーがある。本日の(21年4月30日)そのコーナーに、こんな事が書かれていた。60代の女性の投稿である。

 (父の)残した大量の本があるが、まだ自分が元気なうちに身辺整理をしようと、美術関係の分厚い本を8冊ほど古書店に持っていったところ、全滅した。

というような内容であった。そして、

「今はそういう本を買う人がいなくなってしまったのでしょう。知の宝庫としての本は、古紙としての価値より劣るのかとショックです。もはや、本は古紙回収にしか出せないのでしょうか?」

と締めくくっていた。

わたしは、これと同じような話は、他のところでも聞いたり読んだりしたことがこれまでにもあったので、この記事を読んで、驚きはしなかった。「やっぱりそうなのか」と思ったのであった。

そう、この人が持ち込んできた本を、古本屋さんが買い取ったとして、店頭に並べることになるわけだが、その本を買ってくれる人がいなければ、あるいはいないであろうということが分かっていたら、そりゃあ、古本屋さんは買い取らないだろう。そんなことをしても、場所を取って邪魔なだけであろう。片付けたりするのも大変である。本って重いのだから。

こういう美術関係の本の中身には興味はあるし、手許に置いておくといいなあと思う人がまったくいないとは思えないのだが、しかしである、そんな分厚い本を置いておく場所なんかないのだという人が多いのではなかろうか。

しかも、いまや、ひょっとするとその本の中身はネット上で、完全にではないにしても、読んだり見たりできる可能性もあるのである。あるいは、図書館で借りるという手段もあるのだ。

そう考えると、この投稿者が書いている「知の宝庫としての本は、古紙としての価値より劣るのかとショックです」というのは、ちょっと待ってと言いたい。価値が劣っているわけではなく、お金を払って手許に保存しておく必要性を感じないということなのではないか。となると、こういう事態の問題は、本の中身ではなく、「紙の本」という形の問題なのかもしれない、と思うのだが、これは考えすぎであろうか。

いや、本が好きなわたしとしては、「いやいや、そんな事があるわけ無いではないか、紙の本は不滅だ〜!」と声を大にして叫びたいのだが、このことについては、また時を置いて、じっくりと考えてみたいと思うのだ。

「本は古紙回収にしか出せないのか」って、あまりにも悲しいではないか。

 

f:id:foldingkayak:20210501020749j:plain