だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

コロナ禍を離れる一夜夏芝居

わたしは、最近、芝居を見に行ってきた。満席だった。といっても、もちろんぎゅうぎゅう詰めというわけではなくて、三分の一くらいの席はもともと空けているようだった。

わたしが芝居を見に行くのはもちろんかなり久しぶりであったのだが、演じる役者さんもかなり久しぶりに舞台に立ったようであった。演じる方も、見る方も、共にとても幸せな時間を過ごすことができたと思うのである。観に行ってほんとに良かったと思った。

このような楽しみごとが世の中から消えてしまうかも知れないと思う日々が、もう1年も続いているのである。このままでは、生きる喜びのないままに過ごす時間ばかりがどんどんふえていくことになってしまうのではないだろうか。それはいけない、絶対によくないと、わたしは思うのである。

だって、楽しい時間こそ、生きている時間なのではないだろうか。いっぱい楽しい時間をすごしたならば、そうではないときにだって、楽しかったときの記憶を思い出せば、楽しい気持ちになれるではないか。

だから、コロナ禍ではあっても、なんとか工夫をしたりして、オンラインなどを活用したりして、楽しみごとをなくさないようにしたいと思うのである。人として生きるために。

それは、芝居であってもいいし、映画であってももちろんいいし、絵画展を見に行くことでもいい。人によっては、デパートでの買い物かもしれない。旅行だという人もいるであろう。人数を制限しての講演会や、セミナーという楽しみもあるかも知れない。そういえば、オンライン飲み会というのもひところは流行ったようであったが、最近はどうなのであろうか。リアルな飲み会はまだしばらくは、東京都ではできそうにないのはとても残念である。が、まあ少人数での飲食店での飲みは、まもなく復活するであろう。これは、飲みに行く人にとってももちろん吉報であるが、飲食店の人にとってもすごく喜ばしいことであろう。

そうして、少しずつでもいつもの暮らしに戻っていけることを望んでいる。この1年間の喪失が、とくに若い人たちにとって取り返しのつかない時間にならなければいいのだが。

 

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「コロナ禍を離れる一夜夏芝居」

「密を避け芝居楽しむ夏の夜」

「コロナ禍に芝居する人汗飛ばし」

「コロナ禍に芝居観る人汗拭きて」

「コロナ禍に舞台に見入る夏の夜」

「夏の夜楽しめなくてコロナ禍や」

「コロナ禍に蓋する一夜夏芝居」