だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

夏は毎日、川へ

このところ日中が暑かったので、わたしの子どもの頃の夏のことをなんとなく思い出した。夏の間は、わたしは、ほとんど毎日、すぐ近くの結構大きな川で遊んでいた。

基本は川で泳ぐのだが、泳ぐだけではない。潜ったり、河原で遊んだりと、ほんとに今から思うと、一体何をしていたのかなあと思うのだが、とにかく夏休みなんかは、もう朝から夕方までずうっと川で遊んでいたような記憶がある。

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とくによくやってた遊びにはこんなのがあった。川に白い石などを投げ込んで、それを潜って取りに行く遊びである。みんなで一斉に川に飛び込んで、誰がいちばんにその石を取ってくるかということを競い合うのである。

楽しかったのだが、たまにヒヤッとするようなこともあった。川に潜ると、底のほうは水温が冷たいことがあるのである。だから、1〜2m位潜ると、水をかいでいる手の先がその水温が低いところにさしかかると、冷たさを感じるのである。これはちょっとびっくりするのである。深いところに潜るということだけでも大変なのに、その冷たい部分に入っていくというのはちょっと勇気を必要とするのである。最初の頃は、おっかなびっくりで、手が冷たいところに届いただけで、びっくりしてそこで潜るのを止めて、水面に引き返したものであった。

頭では、底の方は冷たいのだ、ということがわかってはいるのだが、体は反射的に嫌がって、引き返してしまうのである。

 

そんなことがあったなあと、思い出したのであった。そんなわけで、大人になった今でも、川は大好きである。

子どもの頃の体験はその人となりを作るのだなあと、そんなことを思い出しながら考えた。そんなわけだから、わたしのような自然の中での体験を、いまの子どもたちにもぜひ持ってもらいたいと思う。それは親が、そういう環境を子どもたちに作ってあげなければならないことだと思うのである。自然の中での楽しい体験というものは、人間にとって、あったほうがいいものというよりは、なくてはならないものなのではないかという気がしている。

人間は、自然によって生かされていると思うのだが、都会で便利に生きているだけでは、その事を忘れてしまっているような気がするのである。

だが、その事を忘れてしまったとき、人は自然を平気で破壊してしまうのではないだろうか。そしてその破壊した自然とは、当然わたしたち人間もそこに含まれているのである。そう、自分で自分を破壊してしまうのである。何かが滅びるとき、それはだれかに滅ぼされるということももちろんあるのだろうが、人間の場合は、きっと、その誰かは自分であるような気がしてならない。

それを、そうならないようにするのは、いま生きているわたしたちの役目である、と思う。いま、しなければいけないことは何なのか。考えつつ行動したい。

 

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