だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

紙のマスコミ,動画のマスコミ

わたしが最近,webで読んだお話である。
ある大学の授業にゲストで呼ばれて出版企画の話をした出版社の人に,学生がした質問にこんなのがあったそうである。
「私は動画はめっちゃ見るんですが、紙は全然見ません。紙のマスコミって影響力あるんですか?」
 
学生が本を読まなくなっていることは,わたしも,知り合いの大学の先生や,大学を出て間もない若者から,そういう話は幾度も聞いたことがあるので,そうなんだろうなとは思っていた。が,しかしこの記事の学生は,「紙」は全然見ません,といっているのである。これはほんとなのであろうか。「全然見ない」とは相当なものである。
それに,「紙のマスコミ」という言い方も,初耳である。「マスコミ」といえば,まあテレビもあるけれど,メインは新聞や週刊誌などの雑誌だと思っているわたしなどはもう時代遅れなのかもしれないと痛感させられる言葉である。
いまや情報を得る道具といえば動画の時代なのであろうか?
わたしなどは,動画はどうも苦手である。何もしないでも勝手に流れて,かといって,テレビなどは,大事なところで止めようとしても止められるわけでもなし。困った道具だと思えて仕方ないのである。こちらは受け取る一方でしかない。眼の前をサラサラと流れてゆくだけである。楽といえば楽であるのだが。そして,便利でもあるのではあるが。
 
テレビはすでに数十年前から存在していたわけであるが,それは主に自宅で座って見るものであって,どこでも見るという訳にはいかないものであった。だからして,持ち歩いてどこでも見るというか読むマスコミは,なんといっても新聞と雑誌であった。
ところがである,いまや通勤通学の電車の中で,新聞や週刊誌を読んでいる人は,ほとんどいなくなってしまった。それもこの1年間ほどに急速に変化したように思う。
では皆何を見ているかといえば,そう,スマホである。メールやSNSを見ている人もいるが,なんと動画を見ている人が結構いるのである。
そう,いまや,いつでもどこでも動画なのである。しかも,新聞や週刊誌のように場所を取らないし,重くもない,そのうえページをめくる必要もないのである。ただモニターを眺めていれば,むこうから動いていってくれるのである。楽ちんである。便利である。
人間は,どんどん便利な方へ便利な方へと流れていく生き物であるのならば,この流れの方向はもはや変更はできないのであろうか。情報を伝えることと,情報を得る方法は,すべて動画を使ってという方に集約されていくのであろうか。というか,すでにもはやそうなりつつある途中のような気もするのであるが,どうなのであろうか。
 
しかしこの動画というものは,便利であるだけでなく,その便利さが故の欠点もあるように思うのであるが,いかがなものであろうか。動画においては,情報を受け取る人は,ただ画面を見て声を聴くだけでいいのであるが,あれっと思ったとしてもそこでとまって後ろに戻ったりができないわけではないかもしれないが,ほとんどの人はそんなことをしないでどんどん流れ込んでくる情報を受け取るばかりになってしまうのではないか。
そう,わたしが思うに,情報を受け取るだけの人間が増えていくのではないかと思えるのである。情報を得て,その先を想像したり,これからどうなるかを予想したりできなくなっていくということはないのであろうか。
どうも,自分の頭で考える人が増える方向に入っていないのではないかと思えてしょうがないのである。
「紙のマスコミ」は世の中から消えていくのであろうか? わたしはやはり,消えないでほしいと願っているのである。