だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

西日差す 電車の中や スマホ照る

わたしもそうなのだが、ほんとうに、人は電車のなかで新聞を読まなくなってしまったようである。いや、電車のなかだけでなく、「新聞」というものを読まなくなっているのやも知れぬ。もちろん、週刊誌をはじめとする雑誌を、電車のなかで読んでいる人もほぼ皆無といってもいい状態である。本を読んでいる人は、少しいると思うがどうであろうか。以前は、通勤電車で読むものといえば、朝はだいたい新聞で、夕方は週刊誌が当たり前であった。

そういう状況に合わせて、広告の主役も、新聞、雑誌から、テレビへと移り、いまやテレビからネットへと移りつつあるはずである。いや、ひょっとしたらもうすでに広告の主役は、ネットに取って代わられているのかも知れない。

こういう状況であるから、まあ当然の変化といえばいえるのであろうが、国土交通省の、「列車の混雑率を表す言い方」が、いよいよ変わるようである。これまでは、「ただ今の〇〇線の混雑は、新聞を広げて楽に読める程度です」とか、「週刊誌程度ならなんとか読める程度の混雑具合です」というように表現されていたのを、「スマホの操作は楽にできる程度です」とか、「スマホの操作がしにくくなるほどの混雑です」といった表現が、はじめて取り入れられたそうである。

 

news.yahoo.co.jp

 

そうか〜、いよいよそんな時代になってきたのかと、わたしなどは感慨深いものがあるが、若者にとっては、何を今更、変わるのがおそすぎるよ、というのだろうなあ。まだこの指標が正式に決定したわけではないようだが、しかし、電車の中では圧倒的にスマホを覗いている人が多いのはまちがいないことであるのだから、表現はどうあれ、スマホを使った基準に変わることは間違いないと思う、というか、それ以外の指標は考えられないのではないだろうか。電車の中で、乗客が持っているものといえば、スマホかバッグくらいしかないのだから。そんな世の中になったんだと思う。

そう、新聞も、週刊誌も、テレビも、みな、スマホに吸い込まれていきつつあるのだと思う。

 

 

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いまや、電車のなかは、こんな状態である。

「西日差す 電車の中や スマホ照る」