わたしは、少し前に、コナラの苗木を買ってきたという話を書いた。
高さはまだ50センチメートルくらいの赤ちゃんである。でも葉っぱはしっかりコナラの葉っぱであると思う。成長をたのしみに、毎日のように見たり触れたりしている。が、もちろん一日でそんなに伸びるわけはないのであるから、ほとんど高さは変化していない。それでもなんだか見たり触れたりすると、気持ちが落ち着くのである。なぜだろうか。
〔これはコナラの大木〕
そんなふうに、小さいながらもちゃんとコナラである木を見ながら、大きなコナラなどの木のある森に行きたいなあと、思っているのである。
わたしが、まだ行ったことがなくて、行きたいと願っている森がある。
それは、長野県の黒姫にある、「アファンの森」である。残念ながら、少し前に亡くなられてしまったのだが、C.W.ニコルさんという作家が、数十年前に荒れ果てた森を買い取って、美しい森に育てたという森である。
テレビで、この森の紹介をした番組を見たことはあるのだが、やはりじっさいにその森の中に入って、自分のからだ全体で森を感じてみたいと思うのだ。きっと、すごく気持ちが良いに違いない。なんだかわたしは、そのことを頭のなかで想像してみるだけで、もはや気持ちが良くなっているような気がするのである。ほんとに、なんというか、自分でいうのもなんであるのだが、幸せな人間である。
さて、わたしの住んでいる東京の森といえば、奥多摩である。わたしは、何度も奥多摩の森の中を歩いたことはあるのだが、奥多摩の森はスギやヒノキなどの人工林が多いのである。できることならば、歩いても歩いても、延々と続く豊かな広葉樹などの茂る天然の森のなかを歩いてみたいのである。これは、贅沢な願いなのだろうか。いや、わたしは、森の国である日本に住んでいるのであるから、この願いはそんなに贅沢とはいえないと思うのであるがどうなのであろうか。
まあいまのところは、わたしも、苗木とはいえコナラなどの広葉樹を愛でつつ気持ちを癒やし、できることならば長野の黒姫まで行きたいものである。
今週のお題「575」