だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

コロナ禍でのいろいろな暮らし

わたしは最近、有料老人ホームで暮らしている知り合いと、ずいぶん久しぶりに電話でお話をした。コロナの前は、ときたま訪ねていたのだが、コロナになってからはそれは禁止されたので、もう1年以上お会いしていないのだった。電話での声はとてもお元気そうだったので良かった。

しかし、やはりコロナ禍での暮らしは、ずいぶんといろいろな制限がかかっていて、大変そうであった。まずは、外出がままならないとのこと。病院に行くこと以外の外出は禁止だとのことである。うーむ。そんな〜。

それでは、足腰が弱ってしまうではないかと心配したのだが、知り合いは、毎日、庭を行ったり来たりのジグザグに散歩をしているとのことであった。雨の日は仕方がないので、施設の中の廊下を行ったり来たりの散歩だそうである。廊下の散歩って、多分つまらないだろうなあと思うのだが、しかし、だからといって歩かない日が続くと、だんだん歩くことが億劫になって、そのうち歩けなくなってしまうことになりはしないか。そう、とにかく毎日、たとえ部屋の中を行ったり来たりであったとしても、歩くことは止めてはいけないに違いない。

自分で外に行って何かをするということができないので、たとえば、郵便物を出すのも、施設の職員の方にお願いするしかないそうである。うーむ、なかなかたいへんだなあ。

家族との面会も、ガラス越しで、声は聞こえないらしい。何かの受け渡しをするときにも話をしてはいけないらしい。家族同士でもだ。うーむ、そうなのか。

施設の職員のひとりがコロナに感染したことがあったらしい。その時は、みな、部屋から外に出てはいけないということになったとのことである。2週間。部屋から出てはいけないって、それはないのではないかと思ったが、そんなことも一度だけではあるがあったそうである。

施設としては、入居している人に、とにかくコロナに感染させてはいけないというのが第一の使命なのであろう。それはまあわかる。

しかし、人間としての暮らしの質はどうなるのだ。何もかも禁止して、とにかくコロナに感染しなければそれでいいのであろうか。と、わたしなどはちょっと思ってしまった。でも、集団で暮らしていると、わたしはいいから、というわけにはいかないのだろうなあ。他の人に迷惑がかかるかもしれないからなあ。

わたしが、将来そういう施設に入って暮らすことになったとしたら、おとなしく暮らしていけるのであろうか。ちょっと心配である。

 

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