だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

民主主義とデジタル技術

東京都はまだコロナ感染防止のための緊急事態宣言が解かれそうにないのだが、新型コロナの感染拡大を封じ込むのに成功した国として台湾があるらしい。詳しくは知らないのだが、24日の『東京新聞』の1面に載っていた。

「……台湾はデジタル技術を駆使して感染拡大を防ぎ、民主的な感染症対策のモデルを世界に示した」(「民主主義のあした」『東京新聞』2021年2月24日朝刊)

 

この「デジタル技術を駆使」を担当しているのが、台湾デジタル担当相のオードリー・タンさんである。さて、「デジタル技術」と「民主的な感染症対策」がどうして関係があるのかなと思って読みすすめると、こういうことである。

「いまの代議制民主主義では、数年に一度の投票でしか人々の声が政治に反映されません。しかし、デジタル技術の力を借りれば、すべての人が社会問題や公共の課題についてアイデアを出し、政策に反映させることができます。数年に一度の選挙を待つ必要はなく、短時間で立場の異なる人々と共通認識を築くことができます。これがデジタル民主主義の意義です。

例えば台湾の制度では、ある議題について五千人の人々がネット上で署名すれば、二カ月以内に政府の担当部局トップが回答する規定があります。(これまでの議題は)プラスチック製ストロー、使い捨て食器の禁止、離島などへき地医療の問題などでした。こうした取り組みは民主主義のチャンネルを増やします。

〈民主〉とは政府の活動だけではなく、市民がさまざまな方法を通じ、社会に貢献することも含みます。……」(同上)

そうか〜。直接民主主義に近いことが実現できるんだ。というか台湾ではもう実現しているということだよね。すごいな。

ここからさきの話は、わたしがこの記事から想像したことなので、台湾の実情がどうなのかということとは関係ないことである。

自分たち一人ひとりが直接意見を表明して、それが政治の舞台で取り上げられたとなると、その問題に対する当事者意識というものを相当持つことになるのではないだろうか。となるとその問題への解決策や解決するための政策、決まったことへの取り組む姿勢や意気込みが、ただ政府の方針として出てきた場合に比べてかなり違ってくるような気がする。自分の意思表明が反映された決まりごととなると、やはり進んで守ろうという気が湧いてくるのではないだろうか。これはなかなか素晴らしいことに思える。

たしかにデジタル技術はそれを可能にする技術だと思える。先日のわたしのブログでは、大学生が、オンラインの授業では、授業が始まってしばらくしてからの授業への脱落率が少なくなったという話を書いた。これも、ひょっとしたらこの一人ひとりの授業を受けているという感覚が、集団の中に埋もれるのではなく、各自が、自分がひとりとして授業を受けている感覚になるのではないか。これも当事者感覚が立ち上がると言ってもいいのではないか。そしてそれは、オンライン授業というデジタル技術のおかげである。

わたしは、民主主義を大切に思う市民として、ぜひともこのデジタル技術を市民のために、民主主義の発展のために使いたい。このブログも考えてみるとその方向に社会をほんの少しは押しているかもしれないと思わなくもない。いや、押したいのだが、押せているかどうかは自信がないということかな。デジタル技術を当たり前のこととして生きいているいまの若い人には特に望みたい。市民のためのデジタル技術をぜひ生み出してほしい。よろしくお願いする。

 

kwsk.hatenablog.jp