わたしは、昨日のブログに、コロナ禍での困ったことに、運動不足があるという話を書いた。で、今日ももうひとつ、コロナ禍での変化について書きたいと思う。
それは、オンラインの話である。わたしの運動不足の原因は、在宅勤務をするようになったために通勤がへったことが原因であると書いたが、その在宅勤務が可能になったのは、いろいろな仕事がオンラインでできるようになったからでもある。
最初のころは、これは素晴らしい変化であると思っていた。いやいや、今でも、自宅にいながらにしてかなりの仕事ができてしまうというのは、素晴らしいことであると思ってはいるのである。
その自宅で仕事ができてしまう一つの手段として、ZOOMをはじめとするオンライン会議システムがある。これは仕事にももちろん使えるのであるが、仕事以外の活動にももちろん使えるし、実際、わたしは、結構、仕事以外のことにも使っているのである。
そうすると何が起こるかというと、これまでは、仕事以外の活動は、まあみなさん平日は仕事をしているので、集まって話し合いをするとしたら、それは、土曜日か日曜日になるわけであった。ところがである、ZOOMなどを使えば、集まる必要がないわけである。その結果どうなるかというと、平日の夜にZOOMで集まろうということになるのであった。
まあ、たまにであれば,わたしも構わないのであるが、ZOOMが普及して、だれでもほぼ使えるようになってくると、このオンライン話し合いが結構ふえてきたのである。最初のうちは、わたしも、これは便利な世の中になったものだとかなんとか言って、喜んでいたのである。が、しかし、1週間のうちに何日かこのオンラインがあったりすると、なかなかに疲れるのである。
便利は便利なんだが、なんとかならないものか、とわたしは、最近はちょっと思っているのである。
そんな事をつらつらと考えていると、そういえば、わたしは、携帯電話が普及したころも、同じようなことを思ったなあということを思い出した。携帯電話はメチャクチャ便利であった。そのことは確かである。しかし、わたしがどこでなにをしているのかにお構いなく、電話がかかってくるという事態には、いまでもじつはそうなのであるが、困ったものだという思いが抜けない。携帯電話がなかった頃の経験があるからそんなことを考えるのであって、いまの若い人たちは、そんなことを煩わしいことだなんてきっと思ったりしないんだろうなあ。どうなのであろうか。
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