だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

「悩み」について

わたしの住んでいる東京では、コロナ禍の緊急事態宣言で、「不要不急の外出は避けましょう」という呼びかけが行われている。いや、緊急事態宣言がなくとも、その自粛が求められている。なので、どこかに出かけようとするたびに、「この用事は不要不急か、否か?」という問いかけが自分自身に向けられて、そのたびに悩むこととなっている。

わたしはこれまで、「悩み」というものを抱えることはそんなになかったような気がするので、最近は本当に悩まされて困っているのである。どうしたもんだか。

そういえば、「みんな悩んで大きくなった」というのはなにかのコマーシャルだったか、あったと思う。また、「なやみ相談」というのもいろんなところにある。「悩み」というのはそんなにどこにでもあるものなのだろうか。

というのは、わたしはあまり「なやみ」というものを自覚したことがないからなのだ。悩みがないわけでは決してない、と思う。だけれども、たとえば、「今悩んでいることを出し合いましょう」というような場面に遭遇したときに、わたしはよく、「悩みがないことが悩みです」という答えをすることがある。これはべつに悩んでいることをしゃべることが嫌だからそう答えているのではなくて、ほんとうにそのときに悩んでいることが思いつかないというか、悩みがないからそう答えているのである。

もちろんいつも常に悩みがないわけではない。最初に書いたように、このところの自粛の要請には毎日のように悩まされてはいる。かように、「う〜ん、どうしたらいいんだろうか?」というような悩みを抱えることはもちろんわたしにもある。だがたぶん他の人に比べると少ないほうだと思う。そういう意味では、悩みが少ないというか、悩みを悩みとして感じられない、鈍感な自分に悩んでいると言っていいのかもしれない。こう書いていながらなにをいいたいのか自分でもよくわからなくなってきている感じがする。自分では自分のことはどうもよくわからない。

悩みっていったいなんなんだろう。選択に迷うことなのか。誰かになにか誘われたときに、受けるか断るかを決めないといけないときか? そんなのは大した悩みではないような気もする。もっと自分の人生の岐路に立っているようなときの悩みというものが本当の悩みというのではないか? でもそんなときって、そうそうあるものではないような気もする。「悩みってなんだ?」と悩むのってどうなんだ? もういよいよ訳がわからなくなってきた。

これが、「悩みながら大きくなる」ってことなのだろうか。年をとればそれだけ悩みは少なくなって良さそうなのに、どうやらそんなことはないらしい。

思うに、いろいろ悩むのもまた楽しいのかもしれない。「悩みがないのが悩みです」なんて言ってないで、もっともっと深く、積極的に悩まないといけないのかもしれない。なにかをやって、悩んで、そしてまたなにかやって……の繰り返しなのかもしれない、とも思う。

 

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