だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

内田樹『街場のメディア論』をiPadで読みました。紙の新書より重いと思うが、まあ自宅の椅子に座ってゆったりと読んだので、そんなに重さは感じませんでした。

タイトルは「街場のメディア論」です。「街場」というのは多分「大衆の目から見た」というような意味だと思います。「メディア」は、情報伝達手段というか、まあ新聞、テレビ、雑誌、それにインターネットも入るのでしょうね、そういったものをイメージすればいいのではないかと思っています。

今では、メディアというとインターネットをまず思い浮かべるひとが多いかもしれません。私のまわりの20代の人びとは、何かわからないことがあると、すっと自然にパソコンの前に行き、グーグルなどで検索をします。私はそんな風にはなかなかなれません。まずは辞書を探そうとしてしまいます。だから、今の若い人は、メデイアとはインターネットだと思っているかもしれません。
が、現在の日本で、まだまだ力と影響力を持っているメディアといえば、やはりテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍でしょう。

その現代日本のメディアの状況を、著者が分析した書です。
現状はというと、著者の言を待つまでもなく、ここ10年くらいのメディアの退潮は明らかです。テレビ会社も新聞も雑誌も広告が減って経営的に苦しくなってきています。書籍も年々販売金額が落ちてきています
その原因を分析している論によると、もっとも多いものというかほとんどの論考は、「インターネットの普及によって人びとが情報を得るのにテレビや新聞に変わってインターネットを利用するようになってきたからだ」というものです。
著者もそのことは否定しません。が、それだけではないといいます。
「そうではなくて、固有名と、血の通った身体を持った個人の〈どうしても言いたいこと〉ではなく、〈誰でも言いそうなこと〉だけを選択的に語っているうちに、そのようなものなら存在しなくなっても誰も困らないという平明な事実に人びとが気づいてしまった。そういうことではないかと思うのです」
と述べています。

で、そのあと、教育の話や著作権の話、出版とは何か、贈与経済の話などに広がっていきます。散漫といえば散漫と言えるかもしれませんが、メディアとはなにか、出版とはどういう行為なのかという根源に立ち返っての論はとても分かりやすく、うなずけます。

そして結論的言葉として著者はこう言います。
「メディアとは〈ありがとう〉という言葉」

これはもう、メディア論を超えて、「人間が生きるとはどういう事か」ということに行き着いています。しかし人間が社会の中でしか生きられない生き物ならば、メディアとはつまるところ、「生きていくこと」にほかならないのですから、そうなるのは自然だと思います。

テレビも新聞も、現在のものは一度滅びて、新たに一から構築され直すしか再生の道はないのかもしれません。そのとき、外観は今のテレビや新聞とは全然違ったものになっているかもしれないけれど、コミュニケーションなしに人間は生きてはいけないのだから、メディアがすべて滅びたままになるというようなことには決してならないことは確かだと思います。


ところで、本書にはもちろん電子書籍の話も出てきます。
著者は、電子書籍の、紙媒体に対する最大の弱点は、「電子書籍は〈書棚を空間的にかたちづくることができない〉ということです」と述べています。
これは、最大の弱点かどうかは別として、弱点であることには私も同感です。今現在自分が持っている本、読んだ本、これから読もうとしている本、読まなければならない本などが、その物理的な場所を占領して持ち主に迫ってくるという機能が電子書籍にはないのです。(著者はこのことだけを述べているのではなく、もっと大切な事が書棚にはあるのだ、と述べています)

しかし、この問題は、私は、インターネットが解決してくれるであろうと考えています。モニター上で自分の所有している電子書籍が簡単にいつでもどこでもいつも見られるようになるし、友人にその書棚を見せることだってできるようになると思っています。そして、お互いの本棚を見ながら本について語ることだってできるようになるに違いありません。
というか、早くそうなってほしいと思っています。

最後に、電子書籍の現状はどうかということを、本書を例に述べておきます。
本書はVoyagerで購入したのですが、iPadで読んでも、しおりをつけることができないし、ページが出るわけではないから、メモをしようにも、メモしたい文の位置をどうやって規定していいのかもわかりません。
読んだあとでこのように感想文をしたためるのにはとっても不便極まりないです。
せめて、しおりをつけることぐらいはできて欲しいですね。それに、書き込みや線を引いたりできることも最低限の要求だと思います。こんなこともできないようでは、電子書籍はまだまだ広まらないでしょう。