だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

『里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く』藻谷浩介・NHK広島取材班(2013年9月,角川oneテーマ21)

 売れていると話題になっていたので,読みたいと思っていたのだが,やっと読みました。『里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く』。
 すぐに飛びつかなかったのは,「里山資本主義」という書名から,なんとなく「都会に住んでいる自分には関係が薄いかもしれないなあ」と勘ぐっていたからかもしれません。
 その予感は,あたったといえばあたっているし,外れているといえば外れているかもしれません。都会に住んでいる人間にとってはまったく役に立たない,ということはなさそうです。しかし,実際に行動を起こすということから言えば,都会に住んだまま何をするかはやはり今後の課題だと思います。

 と言っても何のことやら,本書を読んでいない方にはわかりませんね。
 まずは本の内容を紹介します。
 書名からわたしが受け取った印象については,著者も分かっていたことだったのでしょう。まず最初にこう書かれています。
「なにも,便利な都会ぐらしを捨て,昔ながらの田舎暮らしをしなさいというのではない。……ひょっとすると,生活の中身はそれほど変わらないかもしれない。しかし,本質は〈革命的に〉転換されるのだ。それはどういうことか」
 この「それはどういうことか」ということが本書で述べられているわけです。

 その中身をわたしがどういうふうに受け取ったかというと,「里山資本主義」ということばから、里山の復活を呼びかける本かと思っていたが、そうではなく,里山という、地域の人びとを結びつけていた絆のあり方と,里山というところからいろいろなものを調達していた暮らしのあり方を少し復活しようという呼びかけだと,わたしは受けとりました。
 この、「少し」というところがとてもよい感じがした。何でもかんでも昔の里山全盛の頃に戻せと言われても困るが、「いまできることをしよう」というところが、いい。

 で,いま,日本や他の国で取り組まれている「里山資本主義」の取り組みが紹介されています。
 一つ目の例は,岡山県真庭市の銘建工業という製材所を中心とする取り組み。製剤の過程で出てくるクズ材を利用した発電です。いままでは産業廃棄物としてお金を支払って捨てていたクズ材で発電をすることによって,引き取り代金がいらなくなた上,発電した電気を売ってお金が入ってくるようになったです。もうひとつ,この発電だけではまだつかいきれない廃材を小さな円筒状に固めたペレットというものに加工して,それをストーブの燃料として使うという使い道です。
 このことによって,その地域でとれた木を材料として電気とストーブ燃料が作られて,それが町の中で取引されるようになります。これまでは,町の外から電気や油を買っていたので,お金は町から外に出てゆくばっかりだったが,そうではなくて,お金が町の中で回ってゆくようになったのです。
 二つ目は,オーストリアの例です。見事に林業を復活させた例です。オーストリアがこんなに林業先進国になっているとは知りませんでした。ぜひ見習うべきでしょうね。
 三つ目は,「費用と人手をかけた田舎の商売の成功」ということで,瀬戸内海の島に移住してはじめたジャム屋の話などなど。

 これら,日本各地での動きは東日本大震災をきっかけに始まった取り組みもあるし,まだまだはじまったばかりだし,小さな取り組みと言えます。しかも,今の生活をガラリと変えるのではなく,現在のマネー資本主義を全否定するのでもなく、それを補完するものであるというのです。そして,それは,言ってみれば保険のようなもので,その保険によって,人びとが安心を得ることによって,日本全体に活力が,人びとには生きる希望が蘇ってくるはずだというのです。
 それは,見方を変えると,「お金からの解放」といえるかもしれません。もちろん全面的に解放されることは無理でしょうが,お金が一時期なくなったとしても,食べるものや住むところがあれば,不安はないはずです。これこそが,少子化の危機からの根本的な解決策だというのです。
 わたしも,断言はできませんが,この考えは正しいような気がします。現代の若者の,「結婚して子どもを作ってもしょうがないんじゃないかなあ。その子の未来はあるのかなあ,確信できないや」という感覚,漠然とした不安こそが,少子化の原因だと思うからです。
 
 さて,都会に住むわたしの課題は,「では,都会に住む私たちはどうしたらいいのか?」ということです。本書の中では,都会の人ができることも少しは書かれていますが,もう若くもないので,いまさら田舎に移住して何かを始めようという気にもそうはなれません。わたしのような都会に住む人間には、一体なにができるんだろうか? 都会における里山ってなんなんだろうか?「里山資本主義」の考え方は分かっても,じゃあ,いま,どういうふうに生活の中でその考えを実現していいのかわかりません。
 ただ考え方としては,「生きることは,生きることであってお金を得ることではない。どちらかと言うと遊ぶことじゃないか」という気がします。「気の合う人と楽しく過ごす」ことが生きることではないのかとおもうのです。まあそういうことをこれからも考えつつ都会で生きるすべを探していきたいと思います。