だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

竹の子

もう6月になってしまったが、これから書く話は5月の話である。竹の子の話なのである。

わたしは東京都に住んでいるのであるが、千葉に親戚が住んでいて、そこの竹林に竹の子がたくさん生えているので、いつでも取りに来ていいよという話が来たのである。わたしはたぶん食いしん坊なので、取り立ての竹の子が食べられると聞けば、行くのである。

その家が、少し高い山というか丘くらいかもしれないが、の頂上にあって、すぐ隣に竹林があった。鍬やスコップを担いで数人で入っていくと、もうすぐに、頭を出している竹の子が見つかった。うれしい。あまりにも簡単に見つかってしまうので、ちょっと拍子抜けてしまったが、でもうれしい。

もうすでに数センチくらい頭を地上に出している竹の子ばかりなので、見つけるのは簡単であった。

 

じつは、これはちょっと想像してたのとは違ったのであるが。というのは、何年か前に、やはり千葉の竹の子掘りに誘われて参加したことがあるのであるが、そのときももちろんすでに地上に頭を出している竹の子もあったのであるが、できることならば、まだ頭が落ち葉の上に出てきていないくらいのもののほうがいい、と言われ、落ち葉をかき分けかき分けながら竹の子探しをしたのであった。

これは、想像がつくと思われるが、見えていないものを手探りというか足探りで探さねばならないのである。なかなか見つからないのである。

案内してくださった人は、もう慣れたもので、歩いているその足の裏の感覚で、ちょっとだけ頭を出している竹の子を見つけられるのである。なかなか鋭い感覚をお持ちなのである。まいりました。

 

という経験があったので、今回もなるべくあまり頭がたくさん出ていない小さめの竹の子を一生懸命探して掘ったのであるが、案内してくださった親戚の方によると、結構頭が出てきている太い竹の子のほうが、食べる部分がたくさんあって良い、というのである。そうなのか~、とおもったのであるが、まあどっちにしてもとってもたくさん掘ることができたので、いいのだ。ということにしておこう。

ところでわたしは竹についてはほとんど何も知らないのであるが、竹の子掘りというと一般的にはどういう竹の子を掘るのであろうか? 孟宗竹なのであろうか?

 

さて、そういうわけで、いっぱい竹の子を掘ってきたのである。

で、どうするかというと、その後はもちろん食べるに決まっているのである。掘ったばかりの竹の子をたくさん担いで、親戚のお家にお邪魔して、庭で皮を向いて、その後しばしぼーっと休んでいたら、やがていい匂いが漂ってきた。竹の子ご飯に違いない。

そして、大きな鍋の中に竹の子ご飯がたっぷりと運ばれてきたのである。うれしい。もちろん、お腹いっぱい食べさせていただいたのである。満足満足。

しかも竹の子もいっぱいおみやげに頂いて、持ち帰ったのである。

そしてもちろんその後3日間くらいは、我が家の食事は竹の子づくしであった。これもまたうれしいの一言である。竹の子はほんとに美味しい、とわたしは思うのであった。