だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

『生物と無生物の間』

福岡伸一『生物と無生物の間』(講談社現代新書,2007年5月)を読みました。
長い間,わたしは「生きているもの,命を持っているもの」と「生きていないもの,生物でないもの」とは,そんなに考え込まなくても自明な区別だと思っていました。動物とそうでないものとの区別だって,別にそんなに困難なことだとは思ってもいませんでした。しかし,ウイルスだとか,珊瑚だとかというものの存在を知ってからは,そう簡単に割り切れるとは限らないのだ,とも思うようになりました。そんなことを時々考えるものですから,この本を書店で見かけたときには,「おっ,これは,わたしの長年の疑問にすっきりと答えてくれる本かもしれない」と,すぐに買ってしまいました。

読んでみての結果はどうかというと,著者は「プロローグ」にこう書いています。

「私はふと大学に入りたての頃,生物学の時間に教師が問うた言葉を思い出す。人は瞬時に,生物と無生物を見分けるけれどそれは生物の何を見ているのでしょうか。そもそも,生物とは何か,皆さんは定義できますか?
 私はかなりわくわくして続きに期待したが,結局,その講義では明確な答えは示されなかった。生命が持ついくつかの特徴――たとえば,細胞からなる,DNAを持つ,呼吸によってエネルギーを作る――,などを列挙するうちに夏休みが来て日程は終わってしまったのである。……それでも今の私は,二十数年来の問いを次のようにあとづけることはできるだろう。
 生命とは何か? それは自己複製を行うシステムである。二十世紀の生命科学が到達したひとつの答えがこれだった」

そうか,「子どもを産む」あるいは「子孫を残す」ということが最大の生きていると言うことなんだな,そういえば,利己的遺伝子というのも,自分がいかに生き残って次の世代へとつないでいくかと言うことが最大の問題だったなあ,と納得しました。「生まれたら,食べて,寝て,セックスをして,子どもを残して,そして死んでいくのが人間をはじめとする動物一般の一生だよな」というわけですね。

著者ももちろんこの定義に納得していると思われます。が,ある研究をしていく中で,それだけではないのではないかという思いを持つようになったという考察が,この本では提示されているのです。

著者の属する分子生物学的な生命観では,「生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル,すなわち分子機械に過ぎない」といえるそうです。それで,その生命観に基づいて,遺伝子操作技術を駆使して,ある部品の情報だけをDNAから切り取って,その部品が欠損したマウスを作って,育てて,どのような変化が起こっているのかを調べて,その部品の役割を明らかにするという研究をしたわけです。
それでどうなったかというと,うまくいかなかったというのです。その原因を考察する中で,著者は,こんな考えにたどり着きます。
「私も最初は落胆した。もちろん今でも半ば落胆している。しかしもう半分の気持ちでは,実は,ここに生命の本質があるのではないか,そのようにも考えてみられるようになってきたのである。
 遺伝子ノックアウト技術によって,パーツを一種類,ピースをひとつ,完全に取り除いても,何らかの方法でその欠落が埋められ,バックアップが働き,全体が組みあがってみると何ら機能不全がない。生命というあり方には,パーツが張り合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。ここには何か別のダイナミズムが存在している。私たちがこの世界を見て,そこに生物と無生物とを識別できるのは,そのダイナミズムを感得しているからではないだろうか」

そして同じくプロローグの中で著者はこう述べています。
「この〈動的平衡〉論をもとに,生物を無生物から区別するものは何かを,私たちの生命観の変遷とともに考察したのが本書である」

ただしこの後にすぐ,
「私の内部では,これが大学初年度に問われた問い,すなわち生命とは何か,への接近でもある」
と書いています。
つまり,この本ではまだ「生命とは何か」という問いへの答えはみつかっていないということです。まだ〈接近〉であって,結論ではないということですね。

以上はみんな前書きである「プロローグ」に書かれていることで,本文の要約でもあります。が,本文は分子生物学の込み入った議論ばかりではなく,ニューヨークのロックフェラー大学に胸像のある野口英世のエピソードや日本やアメリカの研究者の状況,DNAのラセン構造の解明をめぐる研究者の競争の話など,分子生物学に興味はなくても,とても興味深く読める話がたくさん書かれています。

わたしが個人的にたいへん面白かった部分は,
「わたしたちが食べた分子は,瞬く間に全身に散らばり,一時,緩くそこにとどまり,次の瞬間には身体から抜け出ていくことを証明した。つまり生命が〈動的な平衡状態〉にあることを最初に示した科学者,ルドルフ・シェーンハイマー」のはなしと,
「物理学者,シュレーディンガーが『生命とは何か』で述べた問い」
の二か所です。

この著者が同じテーマを追って次の本を出したときには,ぜひとも読みたいです。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)