だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

「グレイスは死んだのか」という小説を読んだ

 「グレイスは死んだのか」という小説を読んだ。(赤松りかこ『グレイスは死んだのか』新潮社、2024年7月)
 
 グレイスというのは、犬の名前である。競技犬で狩猟に使われる犬でメスである。そして飼い主は、「三十そこそこの無口で小柄な浅黒い肌の男で、一年ほど前まで競走馬の調教師を生業にしていた」男である。それに、この犬、グレイスを子犬の頃から診ている獣医師の「オリーブ先生」(これは、飼い主の男が獣医につけたあだ名である)の二人と一匹、というか、三人と言ってもいいかもしれない。これが主な登場人物である。
 
 グレイスは、狩猟犬であるから、4か月齢から訓練されている。そして、いま、原因不明の病気で死にかけているので、オリーブ先生の病院につれてこられている。そこで突如、グレイスが飼い主に歯向かうという出来事があった。これは通常はありえないことである。
 いったい、この飼い主とグレイスの間になにがあったのか。それが、徐々に明らかになっていく。
 
 飼い主がブリーダーの女からグレイスを買い取ったときのこと。そして、深山に猟に出かけていって遭難し、山から出られなくなり、飼い主とグレイスだけで何日も過ごすことになったことなどが無口な飼い主の口からとつとつと、そして手紙から少しずつ明らかにされていく。
 調教されていて、絶対に飼い主に歯向かうことのないはずのグレイスと飼い主、獣と人との間に、山の中でなにが起こったのか。岩崩れで、来た道を塞がれ、崖と滝と岩に往く道を遮られ、抜け出せない森の中で、樹の実を探し、虫を食い、グレイスが猟をしてきた動物を食い合い、洞の中で寝る日々が延々と続く。いつしか飼い主が、グレイスのお陰で命を保つという関係になってしまう。調教とは一体何であったのか。
 
 やがてグレイスの導きで深山の奥から抜け出ることができた飼い主とグレイス。そしてグレイスの死が近いと知った飼い主が選んだ道は。
 「躾と調教は、根本から違う」と言う調教師の飼い主と、調教されたはずのグレイス。調教するものと調教されるものとは一方向ではないのか? この両者の間に溜まっていく交感はなんなのか。深山の中での獣と人間の交感がこれでもかというほど濃密に描写され、森の中の獣の世界にぐいぐいと引き込まれていく。暗い濃い森の中での人と犬との濃密な時間に魂をゆさぶられた。人間は人間なのか、それとも獣?
 
 自然からあまりにも引き剥がされすぎた現代人への警鐘の書であると、わたしは読んだ。