だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

塀のなか大木の根は外にあり

高級住宅街を通ると、だいたいは高い塀が続いている。だからして、歩いていてもずっと塀を眺めることになるので、あまり楽しくはない。まあその塀の上からは木々や花などが顔をのぞかせていることもあるが、人の目の高さには延々と塀しか見えない。

散歩はだからして、わたしは、高級でない住宅街を歩く方がだんぜん楽しい。なんとなれば、目の高さに見えているものが、生け垣だったり、道路際に鉢植えがいっぱい並んでいたり、家の造作だったりしているからである。

高級住宅街の高い塀は、まあ泥棒や不審者の侵入を防ぐためなのであろう。家の中にたくさんのお金や高価な宝石や家具などなどがあるとやはりこうなるのであろうと思われる。わたしはこういう塀族には属さない庶民族であるので、実際のところの理由は知らないのであるが、まあ間違ってはいないであろう。

ところで、こういう高い塀に囲まれている家に住んでいる人は、他人に外から見られたり簡単に入っていけないのと引き換えに、縁側に座ってぼんやりと道行く人を眺めたり、近所の人が通りかかって、お互いにあいさつをするなんてことはできないのである。家の中と外が断絶しているのである。つながっていないのである。

欧州の街の映像などをテレビで見ることがあるが、カフェでは、たいてい道に向かってオープンな場所に机と椅子があって、そこで、道行く人々を眺めながらぼんやりとコーヒーなどを飲んでいる光景がある。それはカフェでももちろん構わないのであるが、塀のない家であるならば、自宅の縁側でもおなじように、この楽しみを味わえるのである。これはかなり素晴らしいことなのではないだろうかと、わたしは思っている。

 

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しかし塀族の皆さんは、そういう楽しみを味わったことがないんだろうなあ。それで、わざわざ町中まででかけてゆき、お金を払ってカフェに入って、道行く人びとを眺めるのであろう。

 

 

「塀のなか大木の根は外にあり」
「黄落や塀のなかにも外にも落つ」
「屏通り空見上げれば同じ月」
「紅葉の上だけ見せる塀の中
「塀の街ものはいっぱい人はなし」
「虫の声塀の中なら黄金虫」
「秋深しビールにするか熱燗か」
「待ちかねてあわてて注文新酒かな」
211027「秋の昼緊急事態開けて呑む」「月満ちて緊急事態開けて呑む」「空澄みて緊急事態開けて呑む」「おあずけの新酒ようやく呑めにけり」「ひさびさのお酒の甘き秋惜しむ」「秋惜しむお酒一本の声はずみ」