だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

野菜と肉

わたしは子どものころ、野菜が嫌いだった。全部の野菜が嫌いというわけではなかったのだが、たとえば、ピーマンとかネギが大嫌いだった記憶がある。肉とか魚とか卵は大好きだった。

まあ大人になるにつれて、少しずつではあるが、野菜も食べられるようにはなったが、いまだに野菜よりも、肉や魚や卵が好きであることは変わらない。

というわけで、人間という生き物は、そもそも肉類が好きで、野菜はそんなに好きではない生き物だと思っていた。

ところがどっこいであった。会社の同僚に、なんと、肉が嫌いだという女性がいたのである。はじめてその事実を知ったときはちょっと驚いた。肉が嫌いな人がいるのか! というわけである。その女性は、こどものころ、肉をあまりにも食べないので、親が心配して、なんとか肉を食べさせようと苦労していたというのである。いやあ、わたしと正反対である。

いやいや、いるんだなこんな人間が、と感心していたものであるが、その女性は、肉をまったく食べないというわけではないのである。ただ、好きではないということなのである。

 

ところがところがである。世の中はほんとに広いというか、肉をまったく食べない人達がいるということを知って、仰天してしまった。そんな人達が存在するということを初めて知ったときは、なかなか信じられなかったのだが、ほんとうにいるのであった。ベジタリアンとか、ビーガンと言われている人である。

 

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さて、わたしは、いまでは、そういう人たちのためのレストランまであるということも知っているし、そういう友人に案内されて、ベジタリアンのレストランに行ったこともある。レストランが成り立つということは、肉は食べないよ、野菜しか食べないよという人達が結構存在しているということであろうと思う。そうなんだ。しかもどうやら増加している雰囲気である。

しかしその反面、街なかにはなぜか、「肉」を売りにしたレストランもこのところ目がつく気がする。世の中の流れは一体どっちなんだろうか。「肉、大好き」か? 「肉なんか食べない!」か? どっちなんだ?

 

 

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いや、これは、どっちかとかいう問題ではなくて、多極化の始まりなのかもしれない。つまり、これまでの、人間は「雑食の生き物である」というような1種類にまとめられなくなってき始めたということではないのだろうか。

「草食動物としての人類」の出現ということである。現在のビーガンの人々の子どもが、生まれるやいなやビーガンになる日が来たならば、いよいよ人類は2種類の人類に分極するのではないかと予想するのだが、いかがなものだろうか。となるとこの赤ちゃんは母乳を飲めないわけだが、大丈夫なのか?

もっとも、わたしはそのことを確認できる前にこの世から消えていると思うのだ。自分の仮説の検証ができないとは、とても残念である。長生きしたいなあ。