だいたいは日々のなんでもないお話

日々の記録というか、忘備録。本が好きです。

『いつまでもデブと思うなよ』の紹介

岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書、2007年8月、735円)

 私はこの本を手にするまで、著者の岡田斗司夫という人を知らなかったのですが、会社の同僚などに聞いてみると、みんな知っていました。けっこう有名な人なのですね。
 著者紹介によると、
 1958(昭和33)年、大阪生まれの作家・評論家ということです。
 1985年に、アニメ・ゲーム製作会社ガイナックスを設立、92年退社。大阪芸術大学客員教授。著書に『オタク学入門』『「世界征服」は可能か?』など。
という人とのこと。おたくで、アニメやパソコンゲームが好きで、それを仕事にしていたが、いまはその経験を元に、評論家・作家として活躍中の49才の男の人ということですね。そうか、ゲーム・アニメ関係の人だったのですね。だったら、私は知らないはずですね。ほとんど興味がない分野ですので。

 で、この人は、1年前までは体重がなんと117キロあったのですが、それを1年で67キロに落としたのです。じつに50キロの減量に成功したというのです。ほとんど半減ですね。これはすごいですね。世の中には、5キロやせるのに苦労している人がいっぱいいるというのに、50キロですよ。やせている人一人分の体重ですよね。ほとんど信じられない世界ですね。
 まあとにかくその50キロやせたという1年間のダイエットの記録と報告がこの本なのです。ほとんど信じがたいことを実現したというのでかどうかわかりませんが、たいへん売れているらしいです。

 世にダイエット本はたくさんありますが、太るとまずい(仕事に差し支える)俳優とか、栄養学の専門家とかが書いていることが多いと思います。ところが、この著者は評論家ですから、別に見た目で仕事をしているわけではないし、ダイエットの専門家でもまったくないわけです。本が売れるかどうかとその著者が太っているかやせているかは基本的には関係ないはずですよね。
 じゃあ、なぜこの岡田さんはダイエットをしようとしたのでしょうか。動機は何だったのでしょうか? まずはそこが気になったのですが、その動機については、はっきりとは書かれていません。というか、本人も、なんとなく気がついたら体重がへりはじめていていつのまにかダイエットの第一歩を踏み出してしまっていたという感じなのです。でも結果的にはそれがよかったのかもしれません。
でもまあ、なにしろ体重117キロですから、1年前に突然ダイエットしたくなったというわけではなく、それ以前から太りすぎは気にしていて、ダイエットを決意するまではいかないにしても、すこしはやせたいとは思っていたのでしょう。

 じつは私自身は太ってはいないので、ダイエットの本にはまったく興味はなかったのですが、この本はいわゆる「ただダイエットする方法のみを書いた本」ではないのです。第1章のタイトルが「〈見た目主義社会〉の到来」ですから。ダイエットの本だと思って読みはじめたのに、いきなり「現代社会はこうこうこうなっている」という社会評論を読まされて面食らいました。でもそれがなかなか面白いのです。
 なんでダイエットの本で「現代社会の定義の講義を受けなきゃならないんだ?」と思いつつも読んでいったのですが、著者の主張はこうです。
「私たちが知らぬ間に日本社会は大きく変わりつつある。その最大の変化が〈見た目・印象〉を重視する〈見た目主義社会〉への移行だ。単に〈最近はイケメンばっかりもてはやされる〉とか〈若い人は見た目がすべてみたいだな〉とか、そういう表層的な変化ではない。ビジネスや経済の最大要因にすらなりうる変化なのだ。……この変化は10年ほど前から加速度的に進行しはじめた」
というのです。

 じゃあその「見た目主義社会」の前は何主義社会だったというのでしょうか? どう思いますか。それは「学歴主義社会」だということです。では、その前はというと、「家柄主義社会」だということです。その「見た目主義社会」に対しての評価はさておき、現在の社会、時代の流れがそうなっていることを認めたうえで、ではそういう社会ではどんな対応が〈有益であるか〉を考えてみてください、というのです。で、「太ってる」と「太ってない」を比べてみると、「家柄主義社会」や「学歴主義社会」では「太っている」ということは2番目3番目の欠点であるのに対して、現在の「見た目主義社会」においては、1番目の欠点になってしまうというのです。
 ここにこそ、現代において太っている人がダイエットをする意義がある、というか、昔に比べてダイエットの意味、重みが非常に増しているというのです。
 つまり、現代においては勉強をがんばって学歴をつけるよりも、あなたがもし太っているのなら、ダイエットをして見た目をよくする努力の方がだんぜん「効率がいい」ということです。だからダイエットしましょうというのです。ダイエットするといいですよ、ほかのことでがんばるよりもだんぜん得しますよという、ダイエットへの動機付けを論じているのです。

 これまでだったら、ダイエットの途中でちょっと辛くなったり「思いっきり食べたい」という思いが強く湧いてきたときには「ちょっとくらい太ってたってなんていうことないじゃないか。そんなことで辛いいやな気持ちをがまんするよりもその分、思う存分食べて、すっきりとして、いっぱい勉強をして本を読んで、中身を成長させるほうが大事なんじゃないか」という言い訳のもとに、ダイエットを挫折していた人に対して、「今の時代は中身よりも見た目、つまり太っていない=スマートであるということがとっても重要で、本を読むひまがあったらダイエットして見た目をよくする方が、仕事でも恋愛でも何でも生きていくことすべてにおいて得しますよ」というメッセージを、まず送ってきているのです。(そこまで極端な言いかたはしていないかもしれませんが)

 それで、この第1章を読んで、そうか、現代こそダイエットが人生においてすごく効率のいい選択なんだ。それなら私(この本を読んでいる人)も、今まで何度も途中で止めていたけど、今がそんな時代だって言うのなら、今度こそ最後までやってみたいと読者が決意してくれれば、もうその読者のダイエットは半ば成功といえるのでしょう。それほどダイエットにおいては「続ける」ための決意と、くじけそうになったときに再び続けようという気になるための動機が重要なのでしょう。

 さて、それで決意した人は、次の第2章へと進むわけです。さていよいよダイエットが始まるのかと思いきや、まだまだでした。
 第2章は「ダイエット手段の格付け」です。この第2章においてもまたまたダイエットの意義の講義からはじまります。第1章において「見た目が大事」ということを認めましたが、「見た目」のなかには、「太っているかやせているか」ということ以外にも、「ファッション」や「言動」という要素もあります。その3つの要素について、リスクとリターンの考察をします。それで、いちばん効率がいいのは、やっぱり肉体改造、つまりダイエットであるという結論に達します。
 その後でやっとダイエットの話が出てくるのです。まずは、ダイエットにはどのような方法があるかという話です。いや、しかし、本当にいろいろな方法があるもんですね。おどろきました。「断食」「カロリーダイエット」「代替食品ダイエット」「特定食品ダイエット」「栄養素除去ダイエット」「時間管理ダイエット」といった食事系のものから、「屋外有酸素運動」「室内器具なし運動」「室内器具トレーニング」「施設内トレーニング」「施設内マッサージ」といった運動系のダイエットもあるし、それらのいくつかを組み合わせたものももちろんあります。それと、忘れてならないのが、著者の提唱する「レコーディングダイエット」です。
 さて、こんなにいろいろなダイエットがあるけれど、「レコーディングダイエット」はほかの方法に比べて、
「お金も体力も使わないので維持が簡単。手間は少しかかるけれど、慣れれば自動車の運転や自転車のように日常で無意識にできるようになる。
 体育会系ダイエットのように〈とりあえず根性を出せ!〉みたいな精神論とは無縁であり、著者である私のように運動嫌いで怠け者で、でも本を読んだり考え事をするのは苦にならない、いわば文系のためのダイエット〉である。
 その割には、1年で50キロ落としたという実績からおわかりのとおり、即効性にもすぐれている。原理的にリバウンド・リスクも最小限に抑えられる。まさに、理想的ダイエット法である」
ということです。

 さて、その次の第三章でやっと、著者が実践して一年で50キロやせたというダイエット法「レコーディングダイエット」の内容の説明に入ります。223ページの本のうち3分の1の77ページをいわばダイエットの動機作りのために費やしているわけです。ダイエットにとってほんとうに大事なのは、方法ではなくて、決意と続ける(挫折しない)ための納得なのかもしれませんね。
 まあ、ここまで飽きずに読み進められてきた人ならそのダイエットに対する欲求もかなりなものに違いありません。あとは、「レコーディングダイエット」の実行あるのみですね。
 さて、では、著者が1年で50キロもやせられたという「レコーディングダイエット」とは一体どんな方法なのでしょうか。その定義はこうです。
「レコーディングダイエットとは〈記録することによるダイエット〉であり、記録するという行為の積み重ねによって自分の行動管理を目的とする」
 これでは全然わかりませんよね。大体、何を記録するのかさえわかりません。体重でしょうか?

 それはひとまずおいといて、著者はいよいよここから、自分の1年前の姿から語りはじめます。身長171センチ、体重117キロ、ウエスト120センチ、上着サイズ5L、体脂肪率42%で、東京・吉祥寺に住んでいて、自称「グルメ」なので、もちろん美味しい店が新たにできたりするとすぐに食べに行くという生活に満足していて、やせたいとは思っていなかったとのことです。「食べるのをがまんしてまでやせる」なんてとても考えられないという人だったそうです。
そのグルメが高じて、食べたものや食べた店の雰囲気などを忘れてしまうのでメモを取るようにしたところ、メモがどんどん増えていって、それならいっそ「食べ歩きエッセイみたいなもの」を書こうと考えて、ますます詳細なメモが増えていったのです。で、ある日、そのメモを見返していて不思議なことに気がついたというのです。
「私は別にトンカツとかハンバーガーばっかり食べているわけではない。和食だって、蕎麦やや自然食みたいな、いわゆるヘルシーなものだってそれなりに食べている。なのになぜ、私は太っているんだろう? そんなにムチャな食生活を送っているとは絶対に思えない。ではなぜ?」
 そこで、そのなぞを解明すべく美味しいものの食べ歩きメモだけでなく、朝・昼・晩・おやつと食べたものをすべてメモしてみることに決めたのです。また体重も毎日計ってメモすることにしました。これが「レコーディングダイエット」の助走です。「口に入れたものを全て、毎日メモする」「毎日、同じ時間に体重を計りメモを取る」この2つだけです。ダイエットの助走といっても、食事制限などをはじめるわけではありません。いままでどおり食べたいときに食べたいものを食べていればいいのです。今までと違ことは、ただそれをメモするということだけです。大事なのは、内容を正確に全て書くということです。ポテチ1枚からコーラひとくちまで省略してはいけないのです。食べた時間もちゃんと書いておきます。

 こんな、ただメモを取ることだけで体重が減るわけないではないかと思われると思うのですが(私も思いました)、著者によると、2006年4月から8月までの5か月間、食事制限など全くしないで、食べたものと体重をメモすることを続けた結果、なんと体重が107キロになったというのです。5か月で10キロやせたのです。なぜなんでしょうか。
「原因はおそらく、〈無意識のうちに太る行動を避けていた〉ということだろう」
と、岡田さんは言います。「太る行動を無意識に避ける」とはどういうことか。「太る行動」とは、太りやすい食べものを回数、量ともにたくさん食べるということです。で、太っている人というのは、無意識のうちに(自分で「よし今日はちょっと太りやすいものを食べてやろう」と考えて何を食べるのかを決めているのではなく)そういうもの、たとえばファーストフード、焼肉、ステーキ、トンカツなどを食べているのである。そういう「太る行動」をとっているから太るのである、ということが、自分(太っている)の毎日の食べたものメモからわかってきたのです。
 しかし「メモするだけ」といっても、コーヒーひとくちからお菓子ひとつまみまでメモするとなると、一日になんども手帳とペンを取り出して広げて書かないとならないわけで結構面倒なことなのではないかと思いますが、実はその面倒さがどうやら「太る行動を無意識に避ける」作用として働いたようです。で、詳細なメモを取りはじめてからなぜか体重が少しずつ減りはじめたものだから、面倒だけれども止めないで続けよう、という気を起こさせてくれたようです。
 「お菓子をちょっとつまもうと思ったときも〈これもメモしなきゃ〉と思うと、なんかちょっと面倒な気分になる。〈食べてもいいけどメモする〉というルールなんだから、食べるのはかまわないはずだ。でもその後の〈メモを取る(レコーディング)〉という行為のほんのちょっとした面倒くささがブレーキをかけているようなのだ。以前は〈食べよう〉という決意もなしに、当然のように食べていた。それを、一度はっきりと意識するだけでちがうのだ。〈食べたい〉気持ちより、〈メモするのが面倒〉と思う気持ちのが大きい場合は食べないことにする。やっぱり食べたいときだけ食べる。コンビニでお菓子を買うときも、〈今日もまた柿の種と書くのか?〉と思うと、今日は別のものにしようかと考えることもある。こういうちょっとした気遣いの結果が、ゆるやかな体重減少となって現れたのだろう」
ということです。

 それはつまり、「いままでいかに〈太るための努力〉を怠らず熱心に続けてきたか、と思い知らされた」ということなのです。もらさずメモすることによって、自分の食生活の〈現状を知る〉ことがはじまったのです。
 しかし、「こんなに太りそうなものを食べている自分」を知ったからといって、自分を責めて無理矢理食べたいものをガマンしてはいけないのです。そうすると、いままでの他のダイエットと同じで、辛いダイエットになってしまうので、続かないことが多いのです。この段階では、まず自分がどんな時間にどんなものをどれくらい食べているのか、そして毎日体重はどうなっているのかを知るだけでいいのです。それでもなぜか体重が少しずつへるのですから。

 さて、自分の食べたものをメモするだけでなぜか体重がへってきたのに気をよくした岡田さんは、「それなら」と思い、食べたものの品名をと量だけでなく、カロリーまでメモに付け加えはじめたのです。岡田さんは食べるものをコンビニで買うことが多いので、(コンビニの食品にはカロリーが書いてあるものが多いので)カロリーが把握しやすいということもあったのでしょうが、そうしてカロリーを気にしはじめると、食べているものを改めて認識させられたときと同じく、自分がいかに無意識のうちにカロリーの高いものばかり好んで食べていたかということがわかってしまったのです。そうすると、何回かの買い物のうちの1回くらいは、今回はちょっとカロリーの低いこっちのサンドイッチを食べてみるかというふうになってくるのです。
 しかしこの段階でもまだ食べるものについてのガマンはしなくてもいいのです。まだまだ記録するだけです。でも自分が食べているものとそのカロリーと回数をしっかりと認識させられて、しかもさしてやせようという努力をしているはずではないのになぜかしっかり体重がへり続けているとなると、何となくうれしくなって、「もっともっとダイエットしたい」という気分が高まってきてしまいます。楽しくなりますよね。
 そこまで気持ちが高まってきたところでやっとカロリー制限をはじめます。「〈1日あたりのカロリー摂取量を一定範囲内に抑える〉ことを目指す」のです。目標とするカロリー摂取量は、「自分の基礎代謝量ギリギリ」あたりにするのがもっとも効率よくやせられます。基礎代謝というのは、「呼吸や体温調整など生命を維持するために消費されるエネルギーで、眠っている間でも消費されるエネルギーで、人間が生きていくうえで絶対に消費されるエネルギー」ですから、目標をこれより低く設定してはいけません。岡田さんは48才・男なので、基礎代謝は1500キロカロリーです。
 そのためにはどうしたらいいのかということは、これまでに自分が毎日何時にどんなものをどれだけのカロリーのものを食べているかすでにしっかりと頭に入っているのですから、そんなに困難な課題ではないはずです。過去のある1日の食事のメモを見て、ここから何と何をへらせば1500キロカロリーにできるなということはすぐにわかるはずです。ルールは2つだけ、「1日1500キロカロリー以内」「できるだけ好きなものを食べる」です。もうすでにここまでレコーディングダイエットを続けてきた人ならば、自分が今まで食べてきたもの、自分が好きなものの中から何をどれくらい食べると何キロカロリーになるかはすぐに計算できるようになっていることでしょう。あとはその組み合わせパズルを楽しみながら、今日1日の食べるものを決めていけばいいのです。「今日は夜にはトンカツが食べたいから、朝は野菜ジュースだけにしておこう」とか、いろいろ組み合わせを考えるのです。
 ここで大事なことは、「できるだけ好きなものを食べる」ために、「残すこと、捨てることを断固としてやる」ということです。カツ丼を食べた後に「今日はどうしてもアイスクリームも食べたい」と思ったとき、アイスクリームを買ってきて、半分だけ食べて残りは捨ててしまうのです。あるいはカツ丼を半分だけにして半分を残して食べて、アイスクリームは1個まるごと食べるというふうにするのです。
 私などは出された食事を残すとか、買ってきた食べものを残して捨てるという行為に大変な抵抗を感じるのですが、それではいけない。「もったいない、といってもう欲しくもないのに無理して食べても、自分が太るだけで、誰も喜んでくれるわけではない」ということです。
 岡田さんは実際に
「私はポテトチップスが食べたくなったら遠慮なんかしない。カロリーなど気にせず、できるだけ美味しそうなポテチを買ってくる。で、その中から最高に形も色も良くて、大きくてパリパリで分厚くて、塩がたっぷりついているのを5枚選ぶ。時間をかけ、悩みに悩んで、最高の5枚を選ぶわけだ。選んだら、残りを台所に持って行って、流しでジャー!と水道水をかけてしまう。これでもう食べられない。〈物理的に〉食べ過ぎる心配は絶対にない」
というようなことをしているそうです。

 この段階を乗り切って、もうそんなに無理をしている感覚もなく1日1500キロカロリーに抑えられるようになった頃に、「75日目の変化」というのがあるらしいのです。急に体重をへらされてしまった体が、あらゆる信号を使って、元の太った体重を取り戻そうと、欲望や不安をかきたててくる〈飢餓感と落ち込み〉」です。これは1〜2週間続くとのことです。ダイエットで2〜3か月目に挫折する人が多いのはこれのせいだろうとのことです。ここがダイエットの最大の難関らしいです。レコーディングダイエットでは、ここを乗り越えられるのもいままでのレコーディングがあるからなのです。
「私も落ち込んだときには、よく記録を見直した。〈すごい! いままで延々と週に1キロというハイペースでへり続けているじゃないか〉。もちろんデータは知っていたが、へることの感動が薄れてきたときに再認識するのは効果的だ。〈週1キロ。もう8週間もへり続けている。オレってすごい!〉と感動を新たにし、萎えた気力が戻ってくる。このときほど〈レコーディングダイエットにして良かった〉と思ったことはない」
と岡田さんは書いている。

 そして、ここを乗り切ると、レコーディングダイエットももう最終段階にきます。その転機のいちばんわかりやすい変化は、自分の好物が明らかに変わるときだそうです。岡田さんの場合はこうです。
「たとえば私はダイエット前、毎日コーラを3〜4本飲んでいた。〈上昇〉段階でも、カロリーゼロのダイエットコーラなどを1日に2〜3本は飲み続けていた。……が、ある日、もう何日も炭酸飲料を飲んでいないことに気がついた。別に嫌いになったわけではない。〈そういえばしばらく飲んでいないな〉と気づいたのだ。気づいてからしばらくは。また飲みだした。でも1日にひとくちかふたくち。気が済んだらボトルにふたをして冷蔵庫にしまう。欲しくなったらまた冷蔵庫から出して少し飲む。1日かけて1本をゆっくり飲む程度のペースになった。最初は〈栄養バランスのため〉とか思って食べていた煮物や海藻類が、最近やたらと美味しい。しぶしぶ飲んでいた豆乳野菜ジュースも、飲むのが楽しみになる。〈マクドナルドのダブルチーズバーガーが食べたい!〉と思いたち、朝からカロリーをやりくりして食べに行ってみた。美味しいには美味しいけど、想像していたほどではなかった。3分の1ほど食べて納得したので、残りは残してきた。こういう変化を主治医に話したら、「良かったですね、食べ物の好みが変わったんですよ」といわれた。そうか。ダイエットを続けていくと、勝手に味の好みも変わるのか」

 ここまでくると、変化は味の好みだけではないようです。「空腹感」や「満腹感」そして体の発する「○○が食べたい」「○○が必要だ」というサインが聞こえるようになるという変化です。それは自分の好物が食べたくなるというサインではなくて、「そのとき体が必要としているものを欲する」というサインです。塩分が不足しているときには、塩辛いものが美味しいと感じられ、ビタミンを体が欲しているときには果汁100%オレンジジュースがとっても美味しく感じられるということです。
「この〈食べたい〉のサインに従うと、いままで〈好物ではない〉〈そんなに好きではない〉と思っていた意外なものも、非常に美味しく感じられる。美味しいものが増えると、ダイエットがいっそう楽しくなる。体が欲しがっている分だけ食べると満足するから、食事量もいつの間にかへっている」
というのです。
 ここまできたらもう体質が変わってきたわけですから、ダイエットに成功して、もう終了という段階ですね。「ダイエットする」などという努力なしでもやせたままでいられるという状態です。レコーディングを止めて、カロリー制限もしないで食事をするという生活にはいるのです。体が必要とする分だけを食べたら、努力なしに食べるのを止められる体になったらもうダイエットの必要はないわけです。
 現在の岡田さんは体重も67キロになって、ダイエットを卒業して、それで、この本を書いたというわけです。

 岡田さんの場合は、はじまりが117キロという体重なので、ほかの多くの人との比較はできないかもしれませんが、とにかく見た目が良くなって得しただけでなく、経済的にすごく得したということです。何が得したのかというと服代はもちろん、電気代(夏の冷房代)もすごく安くなったとのことです。

 最初に書いたとおり、私自身は肥満度ゼロなので、「ダイエットしたい!」と思って読みはじめたわけではないので、ちょっと邪道な読みをしてしまっているかもしれないのですが、ダイエットしたいと思っていない人が読んでも十分に面白いダイエット本としておすすめしたいと思います。
 この「レコーディング〜」という方法は、ダイエットに限らず応用範囲が広い方法だと思います。
 岡田さんもこう言っています。
「何か迷ったとき、目標があるのにうまくいかないときには、要素を書き出してみよう。それがレコーディングだ。書き出したからといって、無理矢理に答えを見つけなくていい。考えたことや悩んでいることを文字にして客観的に見られるようにする。それだけで充分だ」
「レコーディングを続けていると、〈自分〉の内面が徐々に見えてくる」

 それにしても、なんでこんな書名なのでしょうか? ずーと「デブ、デブ〜!」とからかわれ続けていたから? それとも回りから「デブ」といわれている人が口には出さないが心の奥深くでひそかに思っている言葉なのでしょうか。